女性史は、世界史のテーマ史の中でも、地域と時代を大きくまたいで出題される分野です。古代アテネの民主政、唐の則天武后、フランス革命の人権宣言、第一次世界大戦後の参政権の広がりなど、ふだんは別々の単元で学ぶ事項が、「女性の地位と権利」という一本の軸でつながります。
入試では、女性参政権が認められた国と年の組み合わせや、イギリスで2段階に分けて認められた条件の違いが、正誤問題でよく問われます。論述では、「なぜ第一次世界大戦のあとに多くの国で女性参政権が実現したのか」という因果を説明させる問題が定番です。
この記事では、女性の地位と権利の移り変わりを年表でつかんだうえで、地域ごと・時代ごとの特徴と、紛らわしい年号を表で整理します。通史をひととおり学んだあとの横断的な復習に使ってください。

最後にこの記事の内容をまとめた確認プリントもあります!最後まで読み、プリントで復習してこの範囲を完璧にしましょう!
| この記事で分かること | 該当する節 |
|---|---|
| 古代から現代までの女性の地位と権利の流れ | まず全体像 |
| 各地域の伝統社会と女性、女性の君主たち | 時代ごとに詳しく見る |
| 総力戦と女性参政権の因果関係 | 時代ごとに詳しく見る/論述で使える要点 |
| 各国の女性参政権の年と条件の違い | 比べて覚える |
| 年号・人物・条件で誤りやすい点 | 入試で狙われるポイント |
まず全体像:女性の地位と権利の流れを一枚でつかむ
女性史の流れは、大きく3つの段階に分けると見通しがよくなります。第1は、政治の場から女性が外されていた古代から近世までの段階です。第2は、市民革命と啓蒙思想が「人間の平等」を掲げたのに、女性がその対象から外されたことに対して、権利を求める声が上がった18世紀末から19世紀の段階です。第3は、女性参政権が各国で実現し、国際連合のもとで男女平等が国際的な目標になった20世紀の段階です。
下の年表では、それぞれの段階の転換点を並べています。とくに「ポイント」の列で、何が変わり、何が変わらなかったのかを確かめてください。


| 時代 | 年号 | できごと | ポイント |
|---|---|---|---|
| 古代 | 前5世紀 | アテネの民主政 | 民会に参加できたのは成年男子市民だけ |
| 唐 | 690年 | 則天武后が即位 | 国号を周とする。中国史上唯一の女帝 |
| 近世 | 1558年 | エリザベス1世が即位(イギリス) | イギリス国教会を確立 |
| 近世 | 1740年 | マリア=テレジアがハプスブルク家の領土を相続 | 相続に異議が出てオーストリア継承戦争へ |
| 近世 | 1762年 | エカチェリーナ2世が即位(ロシア) | 啓蒙専制君主 |
| フランス革命 | 1789年 | ヴェルサイユ行進 | パンを求めるパリの女性たちが行進 |
| フランス革命 | 1791年 | グージュの「女権宣言」 | 人権宣言が女性を無視していると批判 |
| 啓蒙期 | 1792年 | ウルストンクラフト『女性の権利の擁護』 | 男女の平等と女性の自立を説く |
| ナポレオン時代 | 1804年 | ナポレオン法典 | 法の前の平等と、家庭内での夫の権限 |
| 19世紀 | 1829年 | イギリス領インドでサティーを禁止 | ラーム=モーハン=ローイらの運動 |
| 19世紀 | 1848年 | セネカ・フォールズで女性の権利の大会 | アメリカの女性参政権運動の出発点 |
| 19世紀 | 1854年 | ナイティンゲールがクリミア戦争で看護 | 近代的な看護教育の始まりへ |
| 19世紀末 | 1893年 | ニュージーランドで女性参政権 | 国政で女性の選挙権を認めた最初の例 |
| 20世紀前半 | 1918年 | イギリスで30歳以上の女性に選挙権 | 第一次世界大戦への協力が背景 |
| 20世紀前半 | 1919年 | ドイツでヴァイマル憲法 | 男女平等の普通選挙を定める |
| 20世紀前半 | 1920年 | アメリカで憲法修正第19条が発効 | 男女平等の参政権を定める |
| 20世紀前半 | 1928年 | イギリスで男女平等の選挙権 | 女性も男性と同じ21歳以上に |
| 20世紀前半 | 1934年 | トルコで国政の女性参政権 | ムスタファ=ケマルの近代化の時代 |
| 第二次世界大戦期 | 1944年 | フランスで女性参政権 | 男子普通選挙(1848年)からほぼ1世紀遅れ |
| 戦後 | 1945年 | 国際連合憲章が男女の同権をうたう/日本で女性参政権 | 男女平等が国際的な原則に |
| 戦後 | 1975年 | 国際婦人年、メキシコシティで世界女性会議 | 世界行動計画を採択 |
| 戦後 | 1979年 | 国連総会で女性差別撤廃条約を採択 | 1981年に発効 |
時代ごとに詳しく見る
ここからは、時代と地域ごとに女性の地位を見ていきます。どの時代にも共通するのは、家族や身分のしくみが女性の生き方を強くしばっていたことと、社会の大きな変化がそのしくみを揺さぶったことです。「何が女性の地位を決めていたのか」「何がそれを変えたのか」を意識して読み進めてください。
古代ギリシア・ローマ:市民権から外された女性
前5世紀のアテネでは、成年男子市民が全員で民会に集まり、国の方針を直接決める民主政が行われました。しかし、民会に参加する資格を持っていたのは成年男子の市民だけでした。女性は市民の家族であっても政治には加われず、奴隷や在留外人(メトイコイ)も参政権から外されていました。
古代ローマの家族は、家長が妻や子、奴隷に対して強い権力を持つ家父長制の典型とされます。女性の地位を考えるときには、こうした家族のしくみが土台にあったことを押さえておきましょう。
| 項目 | 古代アテネ | 近代の民主主義(20世紀以降) |
|---|---|---|
| 政治のしくみ | 市民が民会に集まる直接民主政 | 選挙で代表を選ぶ間接民主政が中心 |
| 参政権を持つ人 | 成年男子市民だけ | 成年の男女 |
| 外された人々 | 女性・奴隷・在留外人 | 各国で女性参政権が実現し、性別による制限は解消へ |
アテネの民主政は「民主主義の原点」として学びますが、参加できる人がごく一部に限られていた点は、近代の民主主義と比べる問題でよく問われます。
アジアの伝統社会:中国・インドの家族と女性
中国では、唐末から五代のころに纏足(てんそく)の風習が始まったとされ、宋代以降に広がりました。纏足は、幼い女児の足を布で固く縛って成長をおさえ、足を小さく保つ風習です。始まった時期には諸説がありますが、宋代以後に盛んになったという点は辞典の説明がほぼ一致しています。歩くことが不自由になるため、女性の行動の自由を奪う風習でもありました。清の末期になると纏足をやめようとする運動が起こり、20世紀に入ってすたれていきました。
インドでは、夫が亡くなって火葬されるとき、妻が一緒に焼かれて死ぬサティー(寡婦殉死)という慣習が、ヒンドゥー教徒の間で中世以降に広がりました。19世紀に入ると、社会改革者のラーム=モーハン=ローイらが禁止を求める運動を進め、1829年にイギリスのインド植民地政府が法律でサティーを禁止しました。ただし、法律ができたあとも、この慣習を美徳とみる考え方はすぐには消えませんでした。
| 地域 | 風習・慣習 | 変化のきっかけ |
|---|---|---|
| 中国 | 纏足(宋代以後に広まる) | 清末の廃止運動、太平天国による禁止 |
| インド | サティー(寡婦殉死) | ラーム=モーハン=ローイらの運動、1829年の禁止法 |
イスラーム世界の女性については、宗教そのものを評価するのではなく、20世紀のトルコ共和国の近代化の中で女性の権利がどう変わったかを、のちの節で取り上げます。
女性の君主たち:則天武后から近世ヨーロッパの女王・女帝まで
女性が政治から外されていた時代にも、王家の血筋や宮廷の力関係によって、女性が最高権力をにぎった例があります。唐の則天武后(武則天)は、高宗の皇后として政治の実権をにぎり、高宗の死後、690年にみずから皇帝の位について国号を周と改めました。女性の皇帝は中国史上この一人だけです。彼女は、唐の初めから力を持っていた有力な貴族に対抗して、新しく台頭した官僚層を味方につけました。705年に中宗が復位し、唐の国号が戻りました。


16〜18世紀のヨーロッパでも、女性の君主が国の方向を大きく左右しました。イギリスのエリザベス1世(在位1558〜1603年)は、統一法などでイギリス国教会を確立しました。オーストリアのマリア=テレジアは、1740年に父カール6世が亡くなると、ハプスブルク家の領土をまとめて相続しました。ところが、その相続に周辺の諸侯や国々が異議を唱え、プロイセンのフリードリヒ2世がシュレジエンを占領して、オーストリア継承戦争(1740〜48年)が起こりました。戦争の結果、彼女の相続は認められましたが、シュレジエンはプロイセンのものになりました。
なお、マリア=テレジアは「女帝」と呼ばれることもありますが、神聖ローマ皇帝の位についたのは夫のフランツ1世です。ロシアのエカチェリーナ2世は、ドイツの貴族の出身で、夫のピョートル3世をクーデタで退けて1762年に即位しました。啓蒙専制君主として改革を進めましたが、プガチョフの反乱のあとは貴族の特権を広げ、農奴制を強めました。
| 人物 | 国・王朝 | 即位・相続 | 覚えておくこと |
|---|---|---|---|
| 則天武后 | 唐(国号を周に) | 690年 | 中国史上唯一の女帝 |
| エリザベス1世 | イギリス(テューダー朝) | 1558年 | イギリス国教会の確立 |
| マリア=テレジア | オーストリア(ハプスブルク家) | 1740年 | オーストリア継承戦争、皇帝は夫フランツ1世 |
| エカチェリーナ2世 | ロシア | 1762年 | 啓蒙専制君主、のちに農奴制を強化 |
女性の君主の存在は、女性一般の地位が高かったことを意味するわけではありません。君主の地位は身分と血筋によるものであり、一般の女性が政治に参加する権利とは別の問題として整理しておきましょう。
フランス革命:人権宣言と「女性の権利宣言」
1789年に始まったフランス革命では、女性たちも民衆の一員として大きな役割を果たしました。同じ年の10月5日、パンの不足に苦しむパリの女性たちを中心とする民衆が、ヴェルサイユ宮殿へ行進しました。このヴェルサイユ行進によって、翌日、国王ルイ16世の一家はヴェルサイユからパリに移されました。
しかし、同じ1789年に出された人権宣言がうたった「人」と「市民」の権利は、実際には男性を前提にしていました。劇作家のオランプ=ド=グージュは、人権宣言が女性を無視していると批判し、1791年に17か条からなる「女性および女性市民の権利宣言」(女権宣言。訳し方はいくつかあります)を発表して、男性と同じ権利を女性にも認めるよう求めました。彼女はのちに反逆の罪で処刑されました(1793年)。


イギリスでは、メアリ=ウルストンクラフトが1792年に『女性の権利の擁護』を著し、男女の平等や、女性の精神的・経済的な自立を説きました。彼女は、女性解放の思想を初めて体系的にまとめた人物とされています。
革命の成果をまとめた1804年のナポレオン法典(フランス民法典)は、法の前の平等や私的所有権の不可侵を定め、各国の民法の手本になりました。その一方で、家族の中では夫の権限を強く定めました。第213条は、夫は妻を保護し、妻は夫に従うと定め、妻は夫の協力なしに財産を処分できないとされました。革命が掲げた平等は、家庭の中の夫と妻の関係にまでは及ばなかったのです。
| 文書・著作 | 年 | 女性との関係 |
|---|---|---|
| 人権宣言 | 1789年 | 「人」「市民」の権利をうたうが、女性は政治的な権利から外された |
| グージュの女権宣言 | 1791年 | 人権宣言にならい、女性にも同じ権利を求めた |
| ウルストンクラフト『女性の権利の擁護』 | 1792年 | 男女の平等と女性の自立を説いた |
| ナポレオン法典 | 1804年 | 法の前の平等を定める一方、妻は夫に従うとした |
19世紀:産業革命と女性労働、女性の権利運動の始まり
産業革命で機械を使う工場が広がると、女性や子どもが工場で長い時間働くようになりました。過酷な労働が社会問題になり、イギリスでは工場法によって働く人を保護するしくみが少しずつ整えられました。1844年の工場法で女性労働者が保護の対象に加えられ、1847年には女性と年少者の労働時間を1日10時間に制限する法律ができました。


女性が専門職として社会に出る道を開いた人物として、ナイティンゲールがいます。彼女は1854年、クリミア戦争の野戦病院に看護婦たちを率いて赴き、不衛生だった病院の改善に努めました。帰国後の1860年にはロンドンに看護婦の養成所をつくり、近代的な看護教育の基礎を築きました。
女性参政権を求める運動は、19世紀にイギリスとアメリカで本格的に始まりました。アメリカでは1848年、ニューヨーク州のセネカ・フォールズでスタントンやモットらの呼びかけによる女性の権利の大会が開かれ、独立宣言をまねた「所感の宣言」が採択されました。この宣言には女性参政権の要求も盛り込まれました。イギリスでは、思想家のJ.S.ミルが女性参政権を主張しました。
| 年 | 国 | できごと |
|---|---|---|
| 1844年 | イギリス | 工場法で女性労働者を保護の対象に加える |
| 1847年 | イギリス | 女性と年少者の労働時間を10時間に制限 |
| 1848年 | アメリカ | セネカ・フォールズの大会、「所感の宣言」 |
| 1854年 | イギリス | ナイティンゲールがクリミア戦争で看護 |
| 1860年 | イギリス | ナイティンゲールが看護婦の養成所を設立 |
20世紀前半:総力戦と女性参政権の広がり
国政で初めて女性の選挙権を認めたのは、1893年のニュージーランドです。続いてオーストラリア(1902年)、フィンランド(1906年)などでも認められましたが、第一次世界大戦の前に女性参政権を実現していた国はまだわずかでした。ロシアでは、1917年の革命の年に女性参政権が認められました。
イギリスでは、1903年にエメリン=パンクハーストが娘たちと女性社会政治同盟を結成し、演説の妨害や器物の破壊、獄中でのハンガーストライキなど、激しい手段で参政権を求めました。彼女たちはサフラジェットと呼ばれました。しかし、1914年に第一次世界大戦が始まると、運動の団体は活動をひかえ、戦争に協力する立場をとりました。


第一次世界大戦は、国の人と物のすべてを動員する総力戦でした。戦場へ出た男性に代わって、女性が工場などで働き、国内の労働力を担って戦争を支えました。こうした女性の働きによって、女性参政権への反対は弱まり、大戦中から戦後にかけて多くの国で女性の選挙権が認められました。


イギリスでは1918年の選挙法改正で、21歳以上のすべての男性とともに、30歳以上の女性にも選挙権が与えられました。男女が同じ21歳以上で選挙権を持つようになったのは、1928年の改正です。パンクハーストは、この男女平等の選挙権が実現する数週間前に亡くなりました。ドイツでは、1919年に制定されたヴァイマル憲法が男女平等の普通選挙を定めました。アメリカでは、1920年に憲法修正第19条が発効し、男女平等の参政権が定められました。


| 国 | 年 | 内容 |
|---|---|---|
| ニュージーランド | 1893年 | 国政で女性の選挙権を認めた最初の例 |
| ロシア | 1917年 | 革命の年に女性参政権 |
| イギリス | 1918年 | 30歳以上の女性に選挙権(男性は21歳以上) |
| ドイツ | 1919年 | ヴァイマル憲法で男女平等の普通選挙 |
| アメリカ | 1920年 | 憲法修正第19条が発効 |
| イギリス | 1928年 | 男女とも21歳以上で平等の選挙権 |
アジア・中東の近代化と女性(トルコ・中国・インド)
アジアや中東でも、国の近代化の改革の中で女性の地位が変わっていきました。19世紀半ばの中国では、太平天国が男女平等を掲げて纏足を禁止しました。1853年に出された天朝田畝制度は、男女の別なく土地を均等に分けるという理想を示しましたが、実際にはほとんど行われませんでした。
トルコでは、第一次世界大戦後にムスタファ=ケマルがトルコ共和国を建て(1923年)、初代大統領として近代化を進めました。1924年にはカリフ制を廃止し、政治と宗教を分ける政策や、アラビア文字をやめてローマ字にもとづく新しい文字を使う文字改革などを行いました。女性の参政権も段階的に認められ、1930年に市町村の選挙で、1934年には国政の選挙で、女性が選挙権と被選挙権を得ました。イスラーム教徒が多数を占める国の近代化の例として押さえておきましょう。
| 国 | 改革・できごと | 女性に関わる点 |
|---|---|---|
| 中国(太平天国) | 天朝田畝制度(1853年) | 男女の別なく土地を分ける理想。纏足を禁止 |
| インド | サティーの禁止(1829年) | イギリスの植民地支配のもとで法律による禁止 |
| トルコ | カリフ制の廃止(1924年)、文字改革 | 1930年に地方、1934年に国政の女性参政権 |
第二次世界大戦後:国際連合と女性差別撤廃条約
フランスは、1848年の二月革命のあと世界で最初に男子普通選挙を行った国ですが、女性参政権が認められたのは、第二次世界大戦の末期の1944年でした。「人権宣言の国なのに女性参政権は遅かった」という対比は、入試でもよく問われます。日本でも1945年12月の選挙法改正で、満20歳以上の男女に選挙権が認められました。


1945年に調印された国際連合憲章は、前文で男女の同権への信念をうたい、人種・性・言語・宗教による差別なく人権を尊重することを国連の目的の一つにしました。1948年に国連総会で採択された世界人権宣言も、性による差別を認めないことを明記しています。
国連は1975年を国際婦人年(国際女性年)とし、同じ年にメキシコシティで第1回の世界女性会議を開いて、女性の地位を高めるための世界行動計画を採択しました。そして1979年、国連総会は女性差別撤廃条約(正式には「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」)を採択しました。この条約は1981年に発効し、政治・経済・社会・文化などあらゆる分野での性による差別をなくすよう、締約国に求めています。
| 年 | できごと | 注意点 |
|---|---|---|
| 1945年 | 国際連合憲章 | 前文で男女の同権をうたう |
| 1948年 | 世界人権宣言 | 国連総会で採択。性による差別を認めない |
| 1975年 | 国際婦人年、第1回世界女性会議 | 開催地はメキシコシティ |
| 1979年 | 女性差別撤廃条約を採択 | 採択は1979年、発効は1981年 |
比べて覚える
女性参政権は、国ごとに認められた年が大きく違います。「第一次世界大戦の前」「大戦中から戦後」「1930年代」「第二次世界大戦の末期から戦後」の4つの時期に分けて覚えると、混乱しにくくなります。


| 時期 | 主な国と年 | 背景 |
|---|---|---|
| 第一次世界大戦の前 | ニュージーランド(1893年)、オーストラリア(1902年)、フィンランド(1906年) | 早くから運動が実った少数の国 |
| 大戦中から戦後 | ロシア(1917年)、イギリス(1918年・1928年)、ドイツ(1919年)、アメリカ(1920年) | 総力戦での女性の貢献、革命による体制の転換 |
| 1930年代 | トルコ(1934年) | ムスタファ=ケマルの近代化 |
| 第二次世界大戦の末期から戦後 | フランス(1944年)、日本(1945年) | 大戦の終わりと戦後の改革 |
もう一つ、フランス革命期の3つの文書・著作は、作者と国と年をセットで区別しておくことが大切です。グージュはフランス、ウルストンクラフトはイギリスの人物です。
| 項目 | グージュ | ウルストンクラフト |
|---|---|---|
| 国 | フランス | イギリス |
| 作品 | 女性および女性市民の権利宣言(女権宣言) | 女性の権利の擁護 |
| 年 | 1791年 | 1792年 |
| 特徴 | 人権宣言の条文にならって女性の権利を求めた。のちに処刑 | 男女の平等と、女性の精神的・経済的な自立を説いた |
入試で狙われるポイント
正誤問題では、国と年の組み合わせや、条件の違いをずらした選択肢がよく出されます。左の列の文が誤りだと気づき、右の列の内容で言い直せるかを確かめてください。
| 誤りやすい記述 | 正しい内容 |
|---|---|
| 国政で最初に女性参政権を認めたのはイギリスである | 最初の例は1893年のニュージーランド |
| イギリスでは1918年に男女平等の選挙権が実現した | 1918年は30歳以上の女性。男女平等は1928年 |
| フランスは革命の国なので、女性参政権も早かった | 女性参政権は1944年で、主要国の中では遅い |
| 『女性の権利の擁護』はグージュの著作である | ウルストンクラフト(イギリス)の著作。グージュは女権宣言 |
| ナポレオン法典は家庭内でも男女の平等を定めた | 法の前の平等を定めたが、妻は夫に従うとした |
| マリア=テレジアは神聖ローマ皇帝に即位した | ハプスブルク家の領土を相続した。皇帝は夫のフランツ1世 |
| 女性差別撤廃条約は1975年の国際婦人年に採択された | 採択は1979年、発効は1981年。1975年はメキシコシティの世界女性会議 |
| サティーは中国の風習で、清末に禁止された | インドの慣習で、1829年にイギリスの植民地政府が禁止。中国の風習は纏足 |
論述で使える要点
論述では、出来事を並べるだけでなく、「なぜその時期に女性の権利が広がったのか」を社会の変化と結びつけて説明することが求められます。よく問われる2つのテーマについて、要点の例を示します。
例1「第一次世界大戦と女性参政権」(150字程度):第一次世界大戦は国民全体を動員する総力戦となり、出征した男性に代わって女性が工場などで働き、国内で戦争を支えた。イギリスでは参政権運動の団体も戦争に協力した。こうした貢献によって参政権への反対が弱まり、イギリスでは1918年に30歳以上の女性に選挙権が認められ、ドイツやアメリカでも戦後に実現した。
例2「市民革命と女性の権利」(130字程度):フランス人権宣言は人間の自由と平等をうたったが、政治的な権利は男性を前提としていた。グージュは女権宣言で女性にも同じ権利を求め、ウルストンクラフトは男女の平等を説いた。しかしナポレオン法典は妻の夫への服従を定め、女性の権利の実現は20世紀まで持ち越された。
| テーマ | 入れるべき用語 |
|---|---|
| 古代民主政の限界 | アテネ、民会、成年男子市民、女性・奴隷・在留外人 |
| 市民革命と女性 | 人権宣言、ヴェルサイユ行進、グージュ、女権宣言、ウルストンクラフト、ナポレオン法典 |
| 総力戦と参政権 | 総力戦、女性の労働、女性社会政治同盟、1918年、1928年、ヴァイマル憲法、憲法修正第19条 |
| 戦後の国際的な取り組み | 国際連合憲章、世界人権宣言、国際婦人年、女性差別撤廃条約 |
確認問題
女性史に出てきた用語を、一問一答で確かめましょう。答えは本文で太字や表に出てきた語句ばかりです。答えを見ずに解いてみて、迷った問題は年表や比較の表に戻って確かめてください。
- 1690年に即位して国号を周と改めた、中国史上唯一の女帝は?武則天とも呼ばれる。705年に中宗が復位した
- 21740年、マリア=テレジアのハプスブルク家の領土の相続に異議が出て始まった戦争は?プロイセンがシュレジエンを手に入れた
- 31762年にクーデタで即位した、ロシアの啓蒙専制君主は?プガチョフの反乱のあとは農奴制を強めた
- 41789年10月、パンを求めるパリの女性たちが宮殿へ向かった事件は?国王一家はパリに移された
- 51791年、人権宣言が女性を無視していると批判して女権宣言を発表した人物は?のちに処刑された
- 61792年に『女性の権利の擁護』を著したイギリスの思想家は?男女の平等と女性の自立を説いた
- 7夫が亡くなったとき妻が殉死する、1829年に禁止されたインドの慣習は?ラーム=モーハン=ローイらが禁止を求めた
- 81848年、アメリカで女性の権利の大会が開かれた町は?独立宣言をまねた所感の宣言が採択された
- 9クリミア戦争で野戦病院の改善に努め、看護婦の養成所をつくった人物は?1860年にロンドンに養成所をつくった
- 101893年、国政で初めて女性の選挙権を認めた国は?イギリスやアメリカより早い
- 111903年、パンクハーストらがイギリスで結成した女性参政権の団体は?激しい手段をとり、サフラジェットと呼ばれた
- 12国の人と物のすべてを動員し、女性参政権が広がる背景となった戦争の形を何という?女性が男性に代わって工場などで働いた
- 131919年に制定され、男女平等の普通選挙を定めたドイツの憲法は?同じ時期にアメリカでも憲法修正第19条が発効した
- 141934年に国政の女性参政権を認めた、ムスタファ=ケマルが建てた国は?1924年にカリフ制を廃止した
- 151979年に国連総会で採択され、1981年に発効した女性差別の撤廃をめざす条約は?1975年は国際婦人年
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。
ほかの時代の用語も確かめたいときは、世界史一問一答で地域や時代を混ぜて解いてみてください。
世界史 女性史の内容をまとめて復習できる解説つきの問題集(PDF・全19問)を用意しました。下のファイルをダウンロードして、印刷して使ってください。
テーマ史の勉強の進め方
世界史の通史では、女性に関わる事項が古代ギリシア、唐、近世ヨーロッパ、フランス革命、第一次世界大戦と、まったく別の単元に少しずつ出てきます。そのため、通史だけでは一本の流れとして意識しにくい分野です。通史をひととおり終えた段階で、この記事のように女性の地位と権利だけを抜き出して並べ直すと、「権利から外された時代」から「権利を求めた時代」、そして「権利が実現した時代」へという流れが頭に残ります。
| 段階 | やること | 目安 |
|---|---|---|
| 1 | 通史で、各単元の女性に関わる事項を一度学ぶ | 世界史が一周したあと |
| 2 | 年表を見ながら、国と年の組み合わせを声に出して確認する | 1回10〜15分 |
| 3 | 女性参政権の比較表を隠し、4つの時期ごとに国と年を白紙に再現する | 書けなかった国に印をつける |
| 4 | 論述の要点を見ずに、総力戦と参政権の因果を150字でまとめる | 数日おいて繰り返す |
女性の権利の歴史は、人権思想の広がりや国際機構の歩みとも深く結びついています。関連するテーマ史とあわせて読むと、近現代史の全体像がつかみやすくなります。
通史とテーマ史をどの順番で進めればいいか、独学で間に合うかの判定方法は、世界史は独学で間に合う?で詳しく解説しています。論述の添削を頼める家庭教師やオンライン塾の選び方もまとめています。
関連するテーマ史・時代別の記事
女性史は、人権の考え方や国際的な取り組み、宗教と社会の関係と重なる部分が多い分野です。あわせて読むと理解が深まる記事を紹介します。日本の女性の歴史は、日本史のテーマ史で詳しく扱っています。
| 記事 | この記事とのつながり |
|---|---|
| 世界史のテーマ史:奴隷制と人権の歴史 | 人権思想の広がりと、権利から外された人々の歴史が分かる |
| 世界史のテーマ史:国際機構・地域統合史 | 国際連合のしくみと活動を整理できる |
| 世界史のテーマ史:キリスト教史 | ヨーロッパの社会と宗教の流れを整理できる |
| 世界史のテーマ史:イスラーム史 | トルコ共和国が生まれるまでのイスラーム世界の流れを整理できる |
| 日本史のテーマ史:女性史 | 日本の各時代の女性の地位と、参政権の実現までが分かる |
| 古代ギリシア | 時代別の記事 |
| 中国史(1) | 時代別の記事 |
| ヨーロッパ史(3) | 時代別の記事 |
| 市民革命 | 時代別の記事 |
| 産業革命 | 時代別の記事 |
| 第一次世界大戦 | 時代別の記事 |
ほかのテーマも、世界史のテーマ史の一覧でまとめて確認できます。
まとめ
女性の地位と権利の歴史は、政治から外されていた時代から、市民革命をきっかけに権利を求める声が上がった時代へ、そして総力戦と戦後の国際的な取り組みを通じて権利が実現していく時代へと移り変わりました。どの転換にも、社会のしくみの変化という理由があります。
| 段階 | 主なできごと | 次の段階へ移った理由 |
|---|---|---|
| 政治から外された時代 | アテネの民主政、纏足・サティー、女性の君主たち | 市民革命と啓蒙思想が人間の平等を掲げた |
| 権利を求めた時代 | ヴェルサイユ行進、女権宣言、『女性の権利の擁護』、セネカ・フォールズの大会 | 工業化で女性の労働が広がり、参政権運動が本格化した |
| 権利が実現した時代 | ニュージーランド、イギリス・ドイツ・アメリカ、トルコ、フランス、女性差別撤廃条約 | 総力戦での女性の貢献と、戦後の国連による男女平等の原則 |
最初に年表の「ポイント」の列で流れをつかみ、次に比較の表で国と年の違いを確かめ、最後に論述の要点を自分の言葉で書いてみてください。国と年と条件をセットで言えるようになれば、女性史は得点源になります。











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