民族移動・移民史は、古代から20世紀までの「人の移動」を一本の糸でたどるテーマ史です。ゲルマン人の大移動やノルマン人の建国のように、通史の中で何度も登場するのに、時代も地域もばらばらに覚えてしまいがちな分野でもあります。
入試では、移動した民族と建てた国の組み合わせが正誤問題の定番です。論述では、「なぜ移動したのか」「移動の結果、何が生まれ、何が崩れたのか」という因果がよく問われます。同じ4〜5世紀のゲルマン人と五胡を比べさせる問題は、その典型です。
この記事では、人の移動の流れを年表でつかんだうえで、時代ごとの原因と結果を整理します。19世紀の大移民や20世紀の難民については、歴史上の事実の整理にとどめています。

最後にこの記事の内容をまとめた確認プリントもあります!最後まで読み、プリントで復習してこの範囲を完璧にしましょう!
| この記事で分かること | 該当する節 |
|---|---|
| 古代から20世紀までの人の移動の流れ | まず全体像 |
| 各時代の移動の原因と、移動が残したもの | 時代ごとに詳しく見る |
| ゲルマン人の大移動と五胡の華北進出の違い | 比べて覚える |
| 民族と建国地の組み合わせで誤りやすい点 | 入試で狙われるポイント |
| 論述で使える要点と用語 | 論述で使える要点 |
まず全体像:人の移動の流れを一枚でつかむ
人が住みなれた土地を離れるときには、たいてい2種類の力が働いています。故郷から押し出す力(人口の増加による土地不足、外からの圧迫、宗教的な迫害、飢饉など)と、移住先が引きつける力(豊かな土地、働き口、信仰の自由など)です。どの時代の移動も、この2つで説明すると整理しやすくなります。


下の年表では、移動の転換点になった出来事を並べています。前近代は「集団で動いて国を建てる移動」、近代は「個人や家族が海をこえて働きに行く移動」が中心になる、という変化も意識してください。
| 時代 | 年号 | できごと | ポイント |
|---|---|---|---|
| 古代 | 前2000年ころ | インド=ヨーロッパ語系の人々の一派が小アジアへ | ヒッタイト人が鉄器と馬を用いる |
| 古代 | 前1500年ころ | アーリヤ人が西北インドに進入 | 中央アジアからパンジャーブ地方へ |
| 古代 | 前8世紀〜 | ギリシア人の植民活動 | 地中海・黒海の沿岸に植民市 |
| 4世紀 | 304年 | 匈奴の劉淵が自立 | 五胡十六国の時代が始まる |
| 4世紀 | 375年 | フン人が東ゴート人を征服 | 翌年、西ゴート人がドナウ川を渡る |
| 5世紀 | 476年 | 西ローマ帝国の滅亡 | 傭兵隊長オドアケルが皇帝を退位させる |
| 9世紀 | 840年 | ウイグルがキルギスに敗れて崩壊 | 中央アジアのトルコ化が進む |
| 9世紀 | 862年 | リューリクのノヴゴロド国(年代記の伝承) | ロシアの起源とされる |
| 10世紀 | 911年 | ノルマンディー公国の成立 | 首長はロロ |
| 10世紀 | 955年 | レヒフェルトの戦い | オットー1世がマジャール人を撃退 |
| 11世紀 | 1066年 | ノルマン=コンクェスト | イングランドにノルマン朝 |
| 12〜14世紀 | 12世紀〜 | ドイツ人の東方植民 | エルベ川以東へ農民・騎士が移住 |
| 17世紀 | 1620年 | ピルグリム=ファーザーズ | 信仰の自由を求めて北アメリカへ |
| 16〜19世紀 | 16世紀〜 | 大西洋の奴隷貿易 | アフリカからアメリカ大陸への強制的な移動 |
| 19世紀 | 1845〜49年 | アイルランドのジャガイモ飢饉 | アメリカなどへの移民が急増 |
| 20世紀 | 1924年 | アメリカの移民法 | 東欧・南欧からの移民を制限し、日本人移民を禁止 |
| 20世紀 | 1947〜48年 | インド・パキスタンの分離独立、第1次中東戦争 | 大量の難民が生まれる |
| 20世紀 | 1951年 | 難民の地位に関する条約(難民条約) | 難民の保護を国際的なルールに |
時代ごとに詳しく見る
ここからは、時代ごとに「誰が、どこからどこへ、なぜ動いたのか」と「その結果、何が起きたのか」をセットで見ていきます。前近代の民族移動は入試の中心なので、ゲルマン人・五胡・ノルマン人の3つはとくにていねいに読んでください。
古代:インド=ヨーロッパ語系の移動とギリシア人・フェニキア人の植民
前2000年ころ、インド=ヨーロッパ語系の言語を話す人々の一派が小アジア(アナトリア)に入りました。これがヒッタイト人で、鉄器と馬を使って強国を築きました。
同じ語系のアーリヤ人は、もとは中央アジアにいた人々です。その一部が前1500年ころ、西北インドのパンジャーブ地方に進入しました。彼らは神々への賛歌集ヴェーダを残し、のちのバラモン教や、ヴァルナと呼ばれる身分の区分にもとづく社会の基礎を築いていきます。
地中海では、海を渡る移住が広がりました。ギリシア人は前8世紀ころから約200年の間に、地中海や黒海の沿岸に多くの植民市を建てています。人口の増加による土地や食料の不足などが原因に挙げられます。南フランスのマッサリア(現在のマルセイユ)は、その代表例です。
シリアの沿岸を拠点としたフェニキア人は、前12世紀ころからシドンやティルスを中心に地中海の交易で活躍しました。ティルスの人々が北アフリカに建てたと伝えられるのが、カルタゴです。彼らの使った22の子音字からなるフェニキア文字は、ギリシア人に受けつがれてアルファベットのもとになりました。


| 人々 | 移動の先 | 移動が残したもの |
|---|---|---|
| ヒッタイト人 | 小アジア(アナトリア) | 鉄器と馬を用いた強国 |
| アーリヤ人 | 西北インド(パンジャーブ地方) | ヴェーダ、ヴァルナにもとづく社会 |
| ギリシア人 | 地中海・黒海の沿岸 | マッサリアなどの植民市 |
| フェニキア人 | 地中海の各地 | カルタゴ、アルファベットのもとになった文字 |
4〜5世紀のヨーロッパ:ゲルマン人の大移動と西ローマ帝国の滅亡
ゲルマン人の原住地は、スカンディナヴィア半島南部から北ドイツにかけてのバルト海沿岸です。彼らはケルト人を圧迫しながら南へ広がり、ローマ帝国と境を接しました。帝国の末期には、ローマ軍にゲルマン人の傭兵が多く加わっており、大移動の前から彼らはローマ社会の内側に入りこんでいたのです。
大移動の引き金になったのは、中央アジアの遊牧騎馬民であるフン人の西進です。375年、フン人は黒海の北にいた東ゴート人を征服し、となりの西ゴート人を圧迫しました。西ゴート人は376年にドナウ川を渡ってローマ領内に移り、これをきっかけに諸部族が次々に帝国へ入っていきます。
フン人はアッティラ王のもとで大きな勢力を築きましたが、451年のカタラウヌムの戦いで、西ローマ帝国とゲルマン人の連合軍に退けられました。混乱の続く西ローマ帝国では、476年、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルが皇帝ロムルス=アウグストゥルスを退位させ、帝国は滅亡しました。


| 部族 | 建国した地域 | その後 |
|---|---|---|
| 西ゴート人 | ガリア南部→イベリア半島 | 711年、ウマイヤ朝に滅ぼされる |
| 東ゴート人 | イタリア(493年、テオドリックが建国) | 6世紀、ビザンツ帝国のユスティニアヌス帝に滅ぼされる |
| ヴァンダル人 | 北アフリカ(カルタゴの地) | 534年、ユスティニアヌス帝に滅ぼされる |
| フランク人 | ガリア北部(481年、クローヴィスが即位) | 西ヨーロッパの大部分を統一していく |
| アングロ=サクソン人 | ブリテン島 | 七王国を作り、829年にウェセックス王エグバートがほぼ統一 |
| ランゴバルド人 | 北イタリア(568年) | 774年、フランク王国のカール大帝に滅ぼされる |
多くの部族国家が短い期間で滅んだ中で、長く続いたのがフランク王国です。クローヴィスはカトリックに改宗してローマ教会とローマ系住民の支持を得、王国の基礎を固めました。やがてこの王国のもとで、ゲルマン的な要素、ローマの遺産、キリスト教が結びつき、のちの西ヨーロッパ世界の土台ができていきます。
4〜5世紀の中国:五胡の華北進出と江南の開発
同じころ、ユーラシアの東の端でも大きな移動が起きていました。中国の北方や西方の周辺民族は、後漢のころから少しずつ中国の内側に移り住んでいました。彼らは、匈奴・羯・鮮卑・氐・羌の5つをまとめて五胡と呼ばれます。
西晋では、皇族の王たちが政権を争う八王の乱が起こり、各王は兵力を増やすために匈奴や鮮卑などを引き入れました。この混乱の中、304年に匈奴の劉淵が自立して漢(のちの前趙)を建て、華北は五胡十六国の時代に入ります。311年には都の洛陽が攻め落とされ(永嘉の乱)、316年に西晋は滅びました。
317年、晋の一族の司馬睿が江南の建康(現在の南京)で晋を再興しました。これが東晋です。華北の戦乱を逃れて、多くの貴族や農民が江南へ移り住みました。その結果、それまで開発の遅れていた江南で開発が急速に進み、のちに江南が中国の穀倉地帯へと育っていく土台ができました。
| 年 | できごと | 移動との関係 |
|---|---|---|
| (〜306年) | 八王の乱 | 諸王が匈奴・鮮卑などを兵として引き入れる |
| 304年 | 劉淵が漢を建てる | 五胡十六国の時代の始まり |
| 311年・316年 | 永嘉の乱、西晋の滅亡 | 華北の人々が江南へ移る |
| 317年 | 東晋の成立(都は建康) | 江南の開発が進む |
| 439年 | 北魏の太武帝が華北を統一 | 五胡十六国の時代が終わり、南北朝時代へ |
7〜11世紀:アラブ人の大征服とトルコ系の西進
7世紀、ムハンマドの死後に始まったアラブ人の大征服は、人の大移動でもありました。アラブの戦士たちは家族を連れて征服地に移り、そこに建てた軍営都市(ミスル)で暮らしました。イラクのバスラやクーファ、エジプトのフスタートがその例です。のちには改宗した非アラブ人(マワーリー)も移り住み、ミスルは各地の政治と経済の中心へと変わりました。西では711年にイベリア半島へ上陸し、西ゴート王国を滅ぼしています。
内陸アジアでは、モンゴル高原を支配していたトルコ系のウイグルが、840年にキルギスの攻撃を受けて崩壊しました。四散したウイグルの一部は天山山脈の方面やタリム盆地へ移り、もともとイラン系の人々が住んでいた中央アジアのオアシス地帯でトルコ化が進みます。この地域は、のちに「トルコ人の土地」を意味するトルキスタンと呼ばれるようになりました。
10世紀半ばには、トルコ系で最初のイスラーム王朝とされるカラハン朝が中央アジアにおこりました。トルコ人は奴隷軍人(マムルーク)としてもイスラーム世界の軍隊に加わります。1038年に成立したセルジューク朝はバグダードに入ってカリフからスルタンの称号を受け、1071年のマンジケルトの戦いでビザンツ帝国を破って小アジアへ進出しました。この進出がビザンツ帝国をおびやかし、十字軍が始まる原因の一つになります。
8〜11世紀:ノルマン人・マジャール人・スラヴ人の移動
ノルマン人は、スカンディナヴィア半島やユトランド半島に住んでいた北ゲルマン系の人々です。8世紀ころからヴァイキングと呼ばれ、船を操って交易と略奪を行いながら、ヨーロッパの各地へ進出しました。原因としては人口の増加による土地不足などが挙げられますが、それだけでは説明しきれないという見方もあります。
彼らはやがて各地に定住し、国を建てました。ロシアの年代記の伝えるところでは、862年にリューリクがノヴゴロド国を建て、882年にはオレーグがドニエプル川中流のキエフに都を移して、キエフ公国が始まりました。西では911年、首長ロロが西フランク王シャルル3世から領地を与えられ、ノルマンディー公国が生まれます。イングランドでは、1016年にデンマークのクヌートが王となったのち、1066年にノルマンディー公ウィリアムがヘースティングズの戦いに勝ってノルマン朝を開きました(ノルマン=コンクェスト)。南イタリアとシチリア島では、1130年にルッジェーロ2世が両シチリア王国を建てています。




| 年 | 国 | 人物 | 場所 |
|---|---|---|---|
| 862年 | ノヴゴロド国 | リューリク | ロシア北西部 |
| 882年 | キエフ公国 | オレーグ | ドニエプル川中流 |
| 911年 | ノルマンディー公国 | ロロ | 北フランス |
| 1066年 | ノルマン朝 | ウィリアム1世 | イングランド |
| 1130年 | 両シチリア王国 | ルッジェーロ2世 | 南イタリア・シチリア島 |
同じころ、東からはマジャール人が入ってきました。ウラル語系の言語を話し、ウラル山脈の方面を原住地とした人々で、9世紀末に現在のハンガリーの平原に移り住みます。そこからたびたび西へ侵入しましたが、955年のレヒフェルトの戦いでドイツ王オットー1世に大敗しました。その後は定住し、1000年にはイシュトヴァーン1世がローマ教皇から王冠を受けて、ハンガリー王国が成立しました。
スラヴ人は、ゲルマン人が西へ移ったあとの土地に、5〜6世紀ころから広がりました。西はエルベ川、南はバルカン半島の奥まで進み、東スラヴ・西スラヴ・南スラヴに分かれます。ロシア人やセルビア人はギリシア正教を、ポーランド人・チェック人・クロアティア人はカトリックを受け入れ、文化の進む道も分かれていきました。
12〜15世紀:ドイツ人の東方植民とモンゴルの拡大
12世紀から14世紀にかけて、ドイツの西部やネーデルラントから、多くの農民・市民・騎士がエルベ川より東のスラヴ人の土地へ移り住みました。これを東方植民といいます。背景には、農業技術の発達などにともなう人口の増加がありました。13世紀にはドイツ騎士団がプロイセンを征服して植民を進めました。こうして植民の進んだ地域には、ブランデンブルクやプロイセンのような大きな領邦が生まれています。十字軍やイベリア半島の国土回復運動と同じ時代に、ヨーロッパの人々が外へ広がっていった動きの一つです。
13世紀には、東からモンゴルが進んできました。チンギス=ハンの孫バトゥは1236年から西へ遠征してロシアを征服し、1241年にはワールシュタットの戦いでドイツ・ポーランドの諸侯の軍を破りました。その後、1243年にキプチャク=ハン国を開きました。
16〜18世紀:ヨーロッパ人の新大陸への移住と大西洋世界
大航海時代のあと、ヨーロッパの人々は南北アメリカへ移り住みはじめました。北アメリカでは、1607年にジェームズタウン(ヴァージニア)にイギリス人の最初の恒久的な植民地が築かれます。1620年には、イギリス国教会の圧迫を逃れたピューリタンを中心とする102人がメイフラワー号で渡り、プリマス植民地を開きました。この人々をピルグリム=ファーザーズといいます。1630年以降もピューリタンの移住が続き、ボストンを中心にマサチューセッツ湾植民地が建てられました。
同じ大西洋では、望まない移動も大規模に行われました。16世紀から19世紀にかけて、アフリカ西岸から多くの人々が奴隷として南北アメリカやカリブ海の島々へ運ばれ、砂糖などのプランテーションや鉱山で働かされたのです。先住民の人口が重労働や感染症で激減したことが、その背景にありました。奴隷貿易のしくみや廃止の過程は、奴隷制と人権の歴史の記事で扱います。
19世紀:大移民の時代(アメリカへの移民・華僑・印僑・苦力)
19世紀の半ばから第一次世界大戦までは、ヨーロッパから海外への移民が最も多かった時代です。人口の急増や産業革命による社会の変化が人々を押し出し、汽船の発達が大洋の横断を容易にしました。南北アメリカには、開拓を待つ広い土地と働き口がありました。
アイルランドでは、1845年から49年にかけて、ジャガイモの疫病による大飢饉が起こりました。ジャガイモを主食とする貧しい農民が多かったため被害は深刻で、アメリカを中心に多くの人が国を離れました。1848年にカリフォルニアで金が発見されると、翌年にかけて世界中から人々が押し寄せ(ゴールドラッシュ)、1869年には最初の大陸横断鉄道が開通します。この鉄道の建設には、中国人の労働者も数多く加わりました。
アメリカの移民史では、早くから多かった北西ヨーロッパ(イギリス・アイルランド・ドイツなど)からの移民を旧移民、19世紀末から20世紀初めに増えた東ヨーロッパ・南ヨーロッパ(イタリアなど)からの移民を新移民と呼んで区別します。
アジアからも多くの人が海を渡りました。19世紀にイギリスなどで奴隷制が廃止されると、植民地の農園や鉱山では労働力が足りなくなります。その穴を埋めたのが、中国やインドから契約労働者として送られた人々で、彼らは苦力(クーリー)と呼ばれました。形は契約労働でも、条件はきわめて厳しいものでした。


中国から海外に移り住んだ人々は華僑と呼ばれます。広東や福建の出身者が多く、1860年の北京条約で中国人の海外渡航が認められると、その数は大きく増えました。東南アジアのゴム農園やスズ鉱山、南北アメリカの金鉱や鉄道の建設現場などで働きました。インドから移り住んだ人々は印僑と呼ばれ、年季契約の労働者としてイギリス帝国の各地の植民地へ渡りました。


| 項目 | 華僑 | 印僑 |
|---|---|---|
| 出身地 | 中国(広東・福建が多い) | インド |
| 主な行き先 | 東南アジア、南北アメリカ、オーストラリア | イギリスの植民地(西インド諸島・マレー半島・スリランカ・フィジー・アフリカなど) |
| 主な仕事 | ゴム農園・スズ鉱山・金鉱・鉄道建設 | サトウキビなどのプランテーション |
20世紀:移民の制限と、戦争・独立にともなう人の移動
移民が増えると、受け入れる側で反発も強まりました。アメリカでは1882年に中国人移民禁止法が作られ、中国人の移民が禁じられました。さらに1924年の移民法は、1890年の国勢調査をもとに各国からの移民の数を割り当てる方式をとりました。この基準は、19世紀末から増えていた東欧・南欧からの新移民に大きく不利に働いたうえ、日本人の移民は全面的に禁止されました。日本ではこの法律を排日移民法と呼んでいます。
第二次世界大戦のあとは、戦争や独立にともなう移動が目立つようになります。1947年にインドとパキスタンが分かれて独立すると、両国の間で大量の難民が生まれました。1948年にイスラエルが建国を宣言し、第1次中東戦争が起こると、パレスチナでは多くのアラブ系住民が住む土地を離れ、パレスチナ難民となりました。
こうした状況を受けて、1951年に難民の地位に関する条約(難民条約)が採択され、難民の保護が国際的な約束になりました。同じ1951年には、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も活動を始めています。
比べて覚える
比較で最もよく問われるのが、4〜5世紀のユーラシアの東と西です。どちらも周辺の人々が農耕世界に入り、古い帝国が崩れて新しい社会が生まれました。


| 項目 | ゲルマン人の大移動(西) | 五胡の華北進出(東) |
|---|---|---|
| 時期 | 4世紀後半〜6世紀 | 4世紀初め〜5世紀前半 |
| きっかけ | フン人の西進(375年) | 八王の乱で兵として引き入れられる |
| 前からの関係 | 傭兵などとしてローマ領内に入っていた | 後漢のころから中国の内側に移り住んでいた |
| 崩れたもの | 西ローマ帝国(476年) | 西晋(316年) |
| 生まれたもの | ゲルマン人の諸国家、のちの西ヨーロッパ世界 | 五胡十六国、北魏の華北統一、江南の開発 |
入試で狙われるポイント
正誤問題では、民族と建てた国、出来事と年代の組み合わせをずらした選択肢がよく出されます。左の列の誤った文を見たら、右の列の正しい組み合わせがすぐに浮かぶようにしておきましょう。
| 誤りやすい記述 | 正しい内容 |
|---|---|
| 東ゴート人はイベリア半島に王国を建てた | 東ゴート人はイタリア(テオドリック)。イベリア半島は西ゴート人 |
| ヴァンダル人はイタリアに王国を建てた | 北アフリカのカルタゴの地。北イタリアはランゴバルド人 |
| ノヴゴロド国を建てたのはロロである | リューリク(年代記の伝承)。ロロはノルマンディー公国 |
| ノルマン朝はクヌートが開いた | 1066年にノルマンディー公ウィリアムが開いた。クヌートは1016年にイングランド王となったデンマークの王(デーン朝) |
| レヒフェルトの戦いでノルマン人が撃退された | 撃退されたのはマジャール人。勝ったのはオットー1世 |
| 1924年の移民法は、北西ヨーロッパからの移民を主に制限した | 主に不利になったのは東欧・南欧からの新移民。日本人の移民は禁止 |
論述で使える要点
論述では、民族の名前を並べるだけでなく、移動の原因と社会に残した結果を結びつけて説明します。よく問われる2つのテーマの要点の例を示します。
例1「4〜5世紀のユーラシアの民族移動」(150字程度):ヨーロッパでは、フン人の西進に押された西ゴート人が376年にドナウ川を渡り、ゲルマン人の大移動が始まった。476年には傭兵隊長オドアケルが西ローマ帝国を滅ぼした。中国では八王の乱に乗じて五胡が自立し、西晋が滅んで華北は五胡十六国時代に入った。戦乱を逃れた人々の移住で江南の開発が進んだ。
例2「19世紀の大移民」(140字程度):19世紀には人口の急増や飢饉が人々を押し出し、汽船の発達がそれを後押しして、ヨーロッパから南北アメリカへの移民が増えた。また奴隷制の廃止で不足した労働力を補うため、中国やインドの人々が苦力として各地の農園や鉱山に送られた。アメリカは1882年以降、移民の制限を強めた。
| テーマ | 入れるべき用語 |
|---|---|
| ゲルマン人の大移動 | フン人、西ゴート人、ドナウ川、傭兵、オドアケル、西ローマ帝国の滅亡、フランク王国 |
| 五胡と江南 | 八王の乱、劉淵、永嘉の乱、東晋、建康、江南の開発、北魏 |
| ノルマン人の移動 | ヴァイキング、ノヴゴロド国、ノルマンディー公国、ノルマン朝、両シチリア王国 |
| 19世紀の大移民 | ジャガイモ飢饉、旧移民と新移民、奴隷制の廃止、苦力、華僑、印僑、移民法 |
確認問題
民族移動・移民史に出てきた用語を、一問一答で確かめましょう。答えは本文の太字や表に出てきた語句ばかりです。迷った問題は、該当する節に戻って読み直してください。
- 1前1500年ころ、中央アジアから西北インドのパンジャーブ地方に進入した人々は?神々への賛歌集ヴェーダを残した
- 2375年に東ゴート人を征服し、ゲルマン人の大移動のきっかけを作った遊牧騎馬民は?翌年、西ゴート人がドナウ川を渡った
- 3476年に皇帝を退位させ、西ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン人の傭兵隊長は?皇帝ロムルス=アウグストゥルスを退位させた
- 4ゲルマン人のうち、北アフリカのカルタゴの地に王国を建てた部族は?534年にユスティニアヌス帝に滅ぼされた
- 5304年に自立して漢を建て、五胡十六国の時代を開いた匈奴の人物は?八王の乱の混乱に乗じた
- 6アラブ人が征服地に建て、戦士とその家族が住んだ軍営都市を何という?バスラやクーファがその例
- 7840年にキルギスに敗れて崩壊し、一部が西へ移ったトルコ系の遊牧国家は?中央アジアのトルコ化が進むきっかけになった
- 8911年にノルマンディー公国を建てたノルマン人の首長は?西フランク王シャルル3世から領地を得た
- 91066年にイングランドを征服してノルマン朝を開いた人物は?ヘースティングズの戦いに勝った
- 10955年のレヒフェルトの戦いでオットー1世に撃退された人々は?のちにハンガリー王国を建てた
- 111620年にメイフラワー号で北アメリカに渡り、プリマス植民地を開いた人々は?信仰の自由を求めた
- 12奴隷制の廃止後、中国やインドから契約労働者として送られた人々を何と呼んだ?植民地の農園や鉱山で働いた
- 131845年から49年にかけて、アメリカへの移民が急増する原因となったアイルランドの飢饉は?ジャガイモの疫病が原因だった
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。
ほかの時代の用語も確かめたいときは、世界史一問一答で地域や時代を混ぜて解いてみてください。
世界史 民族移動・移民史の内容をまとめて復習できる解説つきの問題集(PDF・全19問)を用意しました。下のファイルをダウンロードして、印刷して使ってください。
テーマ史の勉強の進め方
民族移動は、通史ではギリシア、ローマ、中国、中世ヨーロッパ、近代のアメリカと、別々の単元に散らばって出てきます。通史を終えたあとで「人の移動」という軸で並べ直すと、「押し出す力と引きつける力」「崩れたものと生まれたもの」という同じ型で整理できます。
| 段階 | やること | 目安 |
|---|---|---|
| 1 | 通史で、各時代の民族移動と建国を一度学ぶ | 通史が一周したあと |
| 2 | 年表を見ながら、民族と国と年号を声に出して確認する | 1回10〜15分 |
| 3 | ゲルマン人と五胡の比較表を隠し、白紙に再現する | 書けなかった欄に印をつける |
| 4 | 論述の要点を見ずに、移動の原因と結果を150字でまとめる | 数日おいて繰り返す |
通史とテーマ史をどの順番で進めればいいか、独学で間に合うかの判定方法は、世界史は独学で間に合う?で詳しく解説しています。論述の添削を頼める家庭教師やオンライン塾の選び方もまとめています。
関連するテーマ史・時代別の記事
人の移動は、宗教・交易・奴隷制・感染症など、ほかのテーマと重なる部分が多くあります。あわせて読むと理解が深まる記事を紹介します。
| 記事 | この記事とのつながり |
|---|---|
| 世界史のテーマ史:奴隷制と人権の歴史 | 奴隷貿易と奴隷制の廃止 |
| 世界史のテーマ史:東西交流史 | 草原の道・海の道を行き来した人々 |
| 世界史のテーマ史:地域別の縦断史(東アジア周辺・内陸アジア編) | 内陸アジアの遊牧国家と東南アジア |
| 世界史のテーマ史:地域別の縦断史(アフリカ・ラテンアメリカ編) | ラテンアメリカの植民地社会 |
| 世界史のテーマ史:キリスト教史 | ゲルマン人やスラヴ人の改宗 |
| 世界史のテーマ史:感染症の歴史 | 人の移動とともに広がった感染症 |
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| 古代ギリシア | 時代別の記事 |
| 古代ローマ | 時代別の記事 |
| インド史 | 時代別の記事 |
| 中国史(1) | 時代別の記事 |
| ヨーロッパ史(1) | 時代別の記事 |
| 産業革命 | 時代別の記事 |
| 第二次世界大戦 | 時代別の記事 |
ほかのテーマも、世界史のテーマ史の一覧でまとめて確認できます。
まとめ
民族移動・移民史は、古代の集団での移動と建国から、近代の個人や家族による海をこえた移民へと形を変えながら続いてきました。どの時代の移動にも、人を押し出す力と引きつける力があり、移動の結果として古い秩序が崩れ、新しい社会や文化が生まれています。
| 時代 | 主な移動 | 移動が残したもの |
|---|---|---|
| 古代 | アーリヤ人、ギリシア人・フェニキア人の植民 | ヴァルナ、植民市、アルファベット |
| 4〜5世紀 | ゲルマン人の大移動、五胡の華北進出 | 西ローマ帝国と西晋の滅亡、ゲルマン人の国家、江南の開発 |
| 7〜14世紀 | アラブ人・トルコ系・ノルマン人・マジャール人、東方植民 | トルキスタン、ノルマン人の諸国家、ハンガリー王国 |
| 16〜19世紀 | 新大陸への移住、奴隷貿易、19世紀の大移民と苦力 | アメリカ大陸の植民地、世界各地の華僑・印僑 |
| 20世紀 | 移民の制限、独立や戦争にともなう難民 | 移民法、難民条約とUNHCR |
年表で流れをつかみ、比較の表でゲルマン人と五胡の違いを確かめ、論述の要点を自分の言葉で書いてみてください。民族と国の組み合わせを確実に言えるようになれば、このテーマは得点源になります。














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