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Mino
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世界史 感染症の歴史まとめ|黒死病・天然痘・コレラと社会の変化

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世界史 感染症の歴史まとめ|黒死病・天然痘・コレラと社会の変化

感染症の歴史は、世界史探究の教科書では一つの章にまとまっておらず、古代ギリシア、中世ヨーロッパ、大航海時代、産業革命、第一次世界大戦と、各時代のあちこちに少しずつ顔を出すテーマです。そのため通史の中では見落としやすいのですが、入試では「疫病が社会をどう変えたか」という因果の形で問われることがよくあります。

とくに問われやすいのは、14世紀の黒死病が封建社会の動揺につながった流れと、16世紀のアメリカ大陸で先住民の人口が激減し、アフリカから奴隷が運ばれるようになった流れです。さらに、ジェンナー・パストゥール・コッホ・北里柴三郎といった医学者と業績の組み合わせは、正誤問題の定番になっています。

この記事では、古代から現代までの大きな流行を年表でつかみ、時代ごとに「なぜ広がったのか」「流行のあと社会がどう変わったのか」を整理します。なお、死者の数や人口の減少率は推計によって大きく異なるため、本文では原則として数字を出さずに説明します。

最後にこの記事の内容をまとめた確認プリントもあります!最後まで読み、プリントで復習してこの範囲を完璧にしましょう!

この記事で分かること該当する節
古代から現代までの大きな流行の順番まず全体像
流行が広がった理由と、その後の社会の変化時代ごとに詳しく見る
黒死病とアメリカ大陸の人口激減の違い、医学者の業績比べて覚える
人物と業績、因果の向きで誤りやすい点入試で狙われるポイント
論述で使える要点と用語論述で使える要点
目次(見たいところをクリックできます!)

まず全体像:感染症と社会の流れを一枚でつかむ

感染症の大流行は、多くの場合、人や物の行き来が急に増えたときに起きています。戦争で人が一か所に集まったとき、広い地域を結ぶ交易路が整ったとき、海を越えて別の大陸と接触したとき、そして都市に人口が集中したときです。流行のあとには、労働力の不足や支配のしくみの変化、衛生の改革など、社会の側にも大きな変化が生まれました。

下の年表では、流行そのものと、それに対抗する医学・制度の動きをあわせて並べています。まずは「ポイント」の列を読み、流行と社会の変化がどう結びついているかをつかんでください。

古代アテネ、黒死病、アメリカ大陸、コレラ、スペインかぜについて、流行が広がった条件と社会の変化を並べた図
流行の条件と社会の変化
時代年号できごとポイント
古代ギリシア前430年アテネで疫病が流行ペロポネソス戦争中の籠城で市内に人が密集
古代ギリシア前429年ペリクレスが疫病で死去アテネは指導者を失う
ビザンツ帝国6世紀ペストの流行ユスティニアヌス帝の時代
中世ヨーロッパ1347年黒死病がヨーロッパに到達黒海沿岸から地中海の港へ
中世ヨーロッパ1348年黒死病が西ヨーロッパ各地に広がる労働力が不足し、農民の地位が上がる
フランス1358年ジャックリーの乱百年戦争の負担と荒廃が背景
イギリス1381年ワット=タイラーの乱人頭税への反発がきっかけ
アメリカ大陸1521年コルテスがアステカ王国を征服天然痘などで先住民の人口が激減していく
アメリカ大陸1533年ピサロがインカ帝国を征服強制労働と感染症が先住民社会を崩す
イギリス1796年ジェンナーが牛痘による種痘を試みる予防接種の出発点
インド1817年コレラの世界的な流行が始まる交通の発達とともに世界へ
イギリス1848年公衆衛生法上下水道などの整備が始まる
フランス1853年オスマンがセーヌ県知事にパリ改造で上下水道を整える
ドイツ1882年コッホが結核菌を発見翌年にはコレラ菌も発見
フランス1885年パストゥールが狂犬病ワクチンを人に接種ワクチンによる予防が広がる
香港1894年北里柴三郎とイェルサンがペスト菌を発見ほぼ同時に発見
世界1918〜19年スペインかぜの流行第一次世界大戦中の兵士の移動で拡大
イギリス1928年フレミングがペニシリンを発見最初の抗生物質
国際連合1948年世界保健機関(WHO)の発足国連の専門機関
世界1980年WHOが天然痘の根絶を宣言種痘を組織的に広めた成果
世界2020年新型コロナウイルス感染症の世界的流行前年に初めて確認された

時代ごとに詳しく見る

ここからは、時代ごとに流行の背景と影響を見ていきます。どの時代も、「人の移動や密集が流行を広げる」「流行が社会のしくみを揺さぶる」「人々が対策を工夫する」という3つの段階で考えると、流れがつかみやすくなります。

古代:ペロポネソス戦争とアテネの疫病

前431年、アテネを中心とするデロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネソス同盟の間でペロポネソス戦争が始まりました。陸軍の強いスパルタに対して、アテネの指導者ペリクレスは、田園に住む人々を城壁の内側に移して籠城し、海軍の力で戦う作戦をとりました。

ところが開戦の翌年、前430年に、人口がふくれあがって生活環境が悪くなっていた市内で疫病が流行しました。多くの市民が命を落とし、前429年にはペリクレス自身もこの疫病で亡くなります。この疫病の様子は、歴史家トゥキディデスが自らかかった体験をもとに『戦史』に書き残しています。病名については天然痘など諸説があり、特定されていません。

指導者を失ったアテネでは、その後、民衆を扇動する政治家が力を持ち、戦争の進め方が乱れていきました。アテネは最終的にスパルタに敗れます。疫病の流行とペリクレスの死は、戦争のさなかのアテネに深刻な打撃を与えた出来事でした。

項目内容
流行した場所籠城中のアテネ市内
広がった理由籠城で狭い市内に人が集中し、生活環境が悪化した
影響多くの市民とペリクレスが死去し、アテネは深刻な打撃を受けた
記録した人物トゥキディデス(『戦史』)

6世紀:ユスティニアヌス帝時代のペスト

ビザンツ帝国(東ローマ帝国)では、ユスティニアヌス帝(在位527〜565年)の時代にペストが大流行しました。ユスティニアヌス帝は、ヴァンダル王国や東ゴート王国を滅ぼして地中海の旧領を回復し、『ローマ法大全』を編纂させた皇帝として知られています。その治世のさなかに、帝国は大規模な疫病にも見舞われていたことになります。

入試では細かな年代よりも、「ユスティニアヌス帝の時代にペストが流行した」という組み合わせと、14世紀の黒死病より前にもペストの大流行があったことを押さえておけば十分です。

14世紀:黒死病と中世ヨーロッパ社会の変化

13世紀から14世紀にかけて、モンゴル帝国のもとでユーラシアの東西を結ぶ交通がさかんになりました。人や物の動きが活発になると、それとともにペストもユーラシアを西へと広がっていったと考えられています。アジアで発生したとみられるペストは、黒海沿岸のクリミア半島に達し、イタリア商人の船などによって地中海の港へ運ばれました。

1347年にはシチリア島に上陸し、翌1348年にはイタリアやフランスなど西ヨーロッパの各地に広がり、やがてイギリスや北ヨーロッパにも及びました。この大流行は黒死病と呼ばれます。死者の割合については諸説がありますが、ヨーロッパの人口は大きく減りました。

黒死病がクリミア半島から地中海の港、シチリア島をへて西ヨーロッパ、イギリス・北ヨーロッパへ広がった道すじの模式図
黒死病が広がった道すじ
黒死病は、交易船が行き交う地中海の港を通じてヨーロッパに広がりました

人口が急に減ると、農村では働き手が足りなくなり、賃金が上がりました。領主は農民を引きとめるために待遇を改めざるをえず、農民の地位は高まりました。イギリスでは、領主が直営地の経営をやめて土地を貸し出す動きも進みました。

これに対して、苦しくなった領主の側は、賦役を復活させるなどして農民への支配を強め直そうとしました。この動きは封建反動と呼ばれます。負担が重くなることに反発した農民は、各地で大規模な反乱を起こしました。

黒死病による人口減少から、賃金の上昇、封建反動をへて、ジャックリーの乱とワット=タイラーの乱に至る流れの図
黒死病から農民反乱へ
反乱ジャックリーの乱ワット=タイラーの乱
年と場所1358年、北フランス1381年、イギリス
直接のきっかけ百年戦争の傭兵の略奪や、領主が課した重い負担百年戦争の戦費を集めるための人頭税
背景黒死病と戦火で疲弊した農村ペストの流行による人口減少と労働力不足
結果短期間で鎮圧された国王が農奴制の廃止などを一時認めたが、鎮圧された

ワット=タイラーの乱では、聖職者ジョン=ボールが「アダムが耕しイヴが紡いだとき、だれが貴族であったか」と説き、身分の平等を訴えました。反乱そのものは失敗しましたが、イギリスでは農奴の解放が進むきっかけの一つになりました。黒死病は、こうした動きを通じて中世の封建社会がゆらぐ一因となったのです。

文化の面にも影響が残りました。ボッカチオの『デカメロン』は、1348年のペストを逃れて郊外に集まった男女10人が物語を語り合うという設定の作品です。また、生きている人と骸骨が手を取り合って踊る「死の舞踏」は、ペストの流行と結びついて中世末期の美術の題材となりました。

16世紀:アメリカ大陸への病原体の持ち込みと先住民社会

大航海時代、スペインはアメリカ大陸の征服を進めました。コルテスは1519年からメキシコに遠征して1521年にアステカ王国を征服し、ピサロは1533年にインカ帝国を滅ぼしました。ピサロは、インカ帝国で皇帝の位をめぐる争いが起きていたすきをつき、皇帝アタワルパを捕らえています。

征服のあと、先住民の人口は激減しました。最大の要因の一つとされるのが、ヨーロッパから持ち込まれた天然痘などの感染症です。アメリカ大陸にはもともと天然痘がなく、先住民は免疫を持っていなかったため、大きな流行を招きました。

ただし、人口が減った原因は感染症だけではありません。スペイン人の植民者はエンコミエンダ制のもとで先住民を鉱山や農園で酷使し、征服にともなう殺戮や破壊も重なりました。当時の修道士たちも、エンコミエンダ制を先住民の大量死の元凶として批判しています。入試では、感染症と強制労働の両方を原因として挙げることが大切です。

感染症・強制労働・征服による先住民人口の激減が、労働力不足をへてアフリカからの黒人奴隷の導入につながったことを示す図
先住民人口の激減から大西洋奴隷貿易へ
原因内容
感染症天然痘などが持ち込まれ、免疫のない先住民の間で流行した
強制労働エンコミエンダ制のもとで、鉱山や農園で過酷な労働を強いられた
征服と破壊戦闘や殺戮、都市や文化の破壊が重なった

先住民の人口が減ると、植民地は深刻な労働力不足に直面しました。また、ラス=カサスらが先住民への虐待を告発したこともあり、代わりの労働力としてアフリカから黒人奴隷が運ばれるようになりました。とくに16世紀後半から、ブラジルやカリブ海の島々で砂糖のプランテーションが広がると、奴隷の需要は急増します。感染症による人口の激減は、大西洋をまたぐ奴隷貿易へとつながっていったのです。

18〜19世紀:種痘の普及とコレラの流行、都市の衛生改革

天然痘を防ぐ方法としては、古くから患者のうみを健康な人に植える人痘接種が各地で行われていましたが、本物の天然痘を発症させてしまう危険がありました。イギリスの医師ジェンナーは、牛痘にかかった乳しぼりの女性は天然痘にかからないという言い伝えに注目し、1796年に8歳の少年に牛痘を接種して、天然痘を予防できることを確かめました。この牛痘による種痘法は安全な予防法として世界に広まり、のちのさまざまな予防接種の出発点となりました。

19世紀には、新しい感染症としてコレラが世界を襲いました。コレラはもともとインドのガンジス川下流域の風土病でしたが、1817年に流行が始まると、交通の発達とともにアジアの各地へ広がり、1820年代からの第2次の流行ではヨーロッパやアメリカにまで達しました。イギリスによるインド支配の進展が、流行の引き金になったという見方もあります。

コレラは、汚染された水や食べ物を口にすることで感染します。産業革命で都市に人口が集中し、下水が川に流されるような不衛生な環境が広がっていたことが、流行を大きくしました。イギリスでは、1831年のコレラの流行をきっかけに、チャドウィックらの働きかけで1848年に公衆衛生法が制定され、上下水道の整備が始まりました。

フランスでは、1853年にナポレオン3世がオスマンをセーヌ県知事に任命し、パリ改造を進めさせました。パリ改造は、暴動のときにバリケードが築かれやすい入り組んだ街路や、疫病の温床とみられた貧しい地区を一掃し、大通りを通すことをねらった大事業で、その一環として上下水道も整えられました。パリ改造の目的は衛生だけではなく、治安や交通の改善も含んでいた点に注意しましょう。

パリ改造では、大通りの整備とともに上下水道も整えられました

19世紀後半:細菌学の発展(パストゥール・コッホ・北里柴三郎)

19世紀後半になると、感染症が目に見えない微生物によって起こることが明らかになりました。この学問を細菌学といい、フランスのパストゥールとドイツのコッホがその基礎を築きました。

パストゥールは、生物が自然に発生するという説を実験で否定し、ワインなどの腐敗を防ぐ低温殺菌法を考えました。さらに、病原体の毒性を弱めて体に免疫をつくらせる方法を研究し、1885年には狂犬病のワクチンを初めて人に接種しました。

コッホは、細菌を純粋に培養する方法を確立し、1876年に炭疽菌、1882年に結核菌、1883年にコレラ菌を発見しました。コッホはのちにアフリカなどで熱帯病の研究にも取り組んでいます。

コッホのもとで学んだのが、日本の北里柴三郎です。北里は1889年に破傷風菌の純粋培養に成功し、翌1890年にはベーリングとともに血清療法を発表しました。帰国後の1894年には、香港でペストが流行した際に現地で調査を行い、フランスのイェルサンとほぼ同時にペスト菌を発見しました。

ジェンナー、パストゥール、コッホ、北里柴三郎の国と業績を年号とともに並べた表
医学者と業績の組み合わせ
人物国主な業績
ジェンナーイギリス牛痘による種痘法(1796年)
パストゥールフランス自然発生説の否定、低温殺菌法、狂犬病ワクチン(1885年)
コッホドイツ炭疽菌(1876年)、結核菌(1882年)、コレラ菌(1883年)の発見
北里柴三郎日本破傷風菌の純粋培養(1889年)、血清療法、ペスト菌の発見(1894年)
イェルサンフランスペスト菌の発見(1894年、北里とほぼ同時)

20世紀:スペインかぜ、ペニシリン、WHOと天然痘の根絶

第一次世界大戦末期の1918年から1919年にかけて、インフルエンザが世界的に大流行しました。これがスペインかぜです。名前に「スペイン」とありますが、スペインで始まったわけではなく、発生地はアメリカとする説などが有力です。大戦中で兵士や労働者が大陸を越えて移動していたことが、流行を世界中に広げました。

スペインかぜの死者は数千万人規模と推定されていますが、推計には大きな幅があります。ふだんのインフルエンザでは重症になりにくい20〜40歳代の人々に死者が多かったことも特徴です。

医学の面では、1928年にイギリスのフレミングがアオカビから細菌の増殖をおさえる物質を見つけ、ペニシリンと名づけました。この発見はしばらく実用化されませんでしたが、1940年代にフローリーとチェーンが分離と治療への応用に成功し、ペニシリンは最初の抗生物質として広く使われるようになりました。

細菌を培養して調べる研究から、最初の抗生物質ペニシリンが生まれました

第二次世界大戦後の1948年には、国際連合の専門機関として世界保健機関(WHO)が発足しました。本部はスイスのジュネーヴに置かれています。WHOは1967年から天然痘の根絶計画を進め、患者の出た地域で種痘を徹底しました。1977年のソマリアの患者を最後に新たな患者は出なくなり、1980年にWHOは天然痘の根絶を宣言しました。

年天然痘をめぐる動き
1796年ジェンナーが牛痘による種痘を試みる
1948年WHOが発足する
1967年WHOが天然痘の根絶計画を始める
1977年ソマリアの患者が最後の自然感染の例となる
1980年WHOが天然痘の根絶を宣言する

現代:新しい感染症と国際協力(概要)

天然痘の根絶のあとも、人類は新しい感染症と向き合い続けています。2019年には新型コロナウイルス感染症が初めて確認され、2020年には世界的な大流行(パンデミック)となりました。WHOを中心とした国際的な監視と協力は、現在も続いています。

比べて覚える

感染症の歴史で最も比べやすいのが、14世紀の黒死病と16世紀のアメリカ大陸の人口激減です。どちらも人口の急な減少が社会を大きく変えましたが、その後の展開は正反対の方向に進みました。

項目黒死病(14世紀)アメリカ大陸(16世紀)
広がった道モンゴル帝国の時代の東西交通、地中海の交易路大航海時代のヨーロッパ人の渡来
主な病気ペスト天然痘など
労働力不足への対応農民の待遇が改善し、地位が上がったアフリカから黒人奴隷が運ばれた
その後封建反動に対する農民反乱、封建社会の動揺大西洋奴隷貿易の拡大

もう一つ、天然痘への対策を「人痘接種」「種痘」「根絶」の3段階で整理しておくと、医学の進歩と国際協力の流れが一本につながります。

段階内容課題・成果
人痘接種患者のうみを健康な人に植える天然痘を発症させる危険があった
種痘(ジェンナー)牛痘を接種して免疫をつくる安全な予防法として世界に広まった
根絶(WHO)患者の出た地域で種痘を徹底する1980年に根絶を宣言した

入試で狙われるポイント

正誤問題では、人物と業績の組み合わせをずらしたり、因果の向きを逆にしたりする選択肢がよく出されます。左の列の誤った文を読んだら、どこが違うのかを右の列で確かめ、すぐに正しく直せるようにしておきましょう。

誤りやすい記述正しい内容
ペリクレスはペロポネソス戦争で戦死した籠城中のアテネで流行した疫病で亡くなった(前429年)
黒死病で人口が減り、農民の地位は下がった労働力不足で賃金が上がり、農民の地位は上がった。領主が支配を強め直そうとしたことが反乱を招いた
ワット=タイラーの乱はフランスで起きた1381年のイギリス。フランスの農民反乱は1358年のジャックリーの乱
先住民の人口激減の原因は感染症だけである感染症に加えて、エンコミエンダ制による酷使や征服による破壊も原因
結核菌とコレラ菌を発見したのはパストゥールであるコッホ。パストゥールは狂犬病ワクチンや自然発生説の否定
ジェンナーは狂犬病のワクチンを開発したジェンナーは牛痘による種痘法(天然痘の予防)
北里柴三郎はコレラ菌を発見した北里は破傷風菌の純粋培養とペスト菌の発見
スペインかぜはスペインで発生した発生地はアメリカとする説などが有力。大戦中の兵士の移動で世界に広がった

順序の問題では、「アテネの疫病(前5世紀)→ユスティニアヌス帝時代のペスト(6世紀)→黒死病(14世紀)→アメリカ大陸の天然痘(16世紀)→ジェンナーの種痘(18世紀末)→コレラの世界的流行(19世紀)→スペインかぜ(20世紀前半)→天然痘の根絶(1980年)」という流れを、世紀とセットで言えるようにしておくと効果的です。

論述で使える要点

論述では、流行の事実を述べるだけでなく、「人口が減ったことで社会のどこがどう変わったか」まで書くことが求められます。よく問われる2つのテーマについて、要点の例を示します。

例1「黒死病が中世ヨーロッパ社会に与えた影響」(150字程度):14世紀半ば、東西交通を通じて黒死病がヨーロッパに広がり、人口が大きく減った。労働力が不足して賃金が上がり、農民の地位が向上すると、領主は賦役の復活など支配の強化を図った。これに反発した農民がジャックリーの乱やワット=タイラーの乱を起こし、封建社会の動揺が進んだ。

例2「アメリカ大陸の先住民人口の激減とその影響」(130字程度):16世紀、スペインの征服後、持ち込まれた天然痘などの感染症とエンコミエンダ制による酷使によって先住民の人口が激減した。労働力不足を補うためにアフリカから黒人奴隷が運ばれ、砂糖プランテーションの拡大とともに大西洋奴隷貿易が本格化した。

テーマ入れるべき用語
アテネの疫病ペロポネソス戦争、ペリクレス、籠城、トゥキディデス
黒死病と封建社会モンゴル帝国、東西交通、労働力不足、農民の地位向上、封建反動、ジャックリーの乱、ワット=タイラーの乱
アメリカ大陸の先住民コルテス、ピサロ、天然痘、免疫、エンコミエンダ制、ラス=カサス、黒人奴隷、砂糖プランテーション
近代の医学と衛生ジェンナー、種痘、コレラ、公衆衛生法、オスマン、パストゥール、コッホ、北里柴三郎
20世紀の感染症と国際協力スペインかぜ、第一次世界大戦、ペニシリン、WHO、天然痘の根絶

確認問題

感染症の歴史に出てきた用語を、一問一答で確かめましょう。答えは本文で太字や表に出てきた語句ばかりです。まず答えを隠したまま解き、迷った問題には印を付けて、あとで該当する節を読み返してください。

感染症の歴史 確認問題全15問
○ 0△ 0× 0残り 15
  1. 1ペロポネソス戦争中、籠城したアテネで流行した疫病で前429年に亡くなった指導者は?
    田園の住民を城壁内に移す籠城策をとっていた
  2. 2アテネの疫病の様子を『戦史』に書き残した歴史家は?
    自らも疫病にかかった体験をもとに記した
  3. 36世紀にペストが大流行したビザンツ帝国の皇帝は?
    地中海の旧領回復や『ローマ法大全』の編纂でも知られる
  4. 414世紀半ばにヨーロッパで大流行したペストを何と呼ぶ?
    1347年にシチリア島に上陸し、翌年西ヨーロッパ各地に広がった
  5. 5黒死病のあと、領主が賦役の復活などで農民への支配を強め直そうとした動きを何という?
    農民の反発が大規模な反乱を招いた
  6. 61358年に北フランスで起きた農民反乱は?
    百年戦争の傭兵の略奪や重い負担が背景
  7. 71381年、人頭税への反発をきっかけにイギリスで起きた農民反乱は?
    ジョン=ボールが身分の平等を説いた
  8. 8スペイン人が先住民を鉱山や農園で酷使した、16世紀のアメリカ大陸の制度は?
    感染症とともに先住民の人口激減の原因となった
  9. 91796年に牛痘を用いた種痘法を試みたイギリスの医師は?
    予防接種の出発点となった
  10. 101848年にイギリスで制定され、上下水道の整備が始まるきっかけとなった法律は?
    1831年のコレラの流行が背景にあった
  11. 11ナポレオン3世のもとでパリ改造を進めたセーヌ県知事は?
    上下水道の整備も改造の一環だった
  12. 121882年に結核菌、翌年にコレラ菌を発見したドイツの細菌学者は?
    細菌の純粋培養の方法を確立した
  13. 131885年に狂犬病のワクチンを初めて人に接種したフランスの学者は?
    自然発生説を実験で否定したことでも知られる
  14. 141894年、香港でイェルサンとほぼ同時にペスト菌を発見した日本の細菌学者は?
    破傷風菌の純粋培養と血清療法でも知られる
  15. 151980年に天然痘の根絶を宣言した国際連合の専門機関は?
    1948年に発足し、本部はジュネーヴにある
1 / 15
全15問おつかれさまでした×を付けた問題だけをもう一度解くと、記憶が定着しやすくなります。
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。
スペースキーで答えを表示/←→で移動

ほかの時代の用語も確かめたいときは、世界史一問一答で地域や時代を混ぜて解いてみてください。

世界史 感染症の歴史の内容をまとめて復習できる解説つきの問題集(PDF・全19問)を用意しました。下のファイルをダウンロードして、印刷して使ってください。

テーマ史の勉強の進め方

感染症の話題は、古代ギリシア史、中世ヨーロッパ史、大航海時代、産業革命と、通史のそれぞれの単元にばらばらに登場します。通史をひととおり終えたあとで、この記事のように感染症だけを抜き出して並べ直すと、「人の移動が流行を広げ、流行が社会を変え、社会が対策を生む」という共通の型が見えてきます。

段階やること目安
1通史で、各時代の流行と社会の変化を一度学ぶ世界史がひととおり終わったあと
2年表を見ながら、流行と世紀の組み合わせを声に出して確認する1回10〜15分
3医学者と業績の表を隠し、白紙に再現する書けなかった欄に印をつける
4黒死病とアメリカ大陸の因果を、それぞれ150字でまとめる数日おいて繰り返す

感染症の歴史は、東西の交流、人の移動、奴隷制、科学技術の発達など、ほかのテーマともつながっています。関連するテーマ史とあわせて読むと、一つの出来事を複数の角度から説明できるようになります。

通史とテーマ史をどの順番で進めればいいか、独学で間に合うかの判定方法は、世界史は独学で間に合う?で詳しく解説しています。論述の添削を頼める家庭教師やオンライン塾の選び方もまとめています。

関連するテーマ史・時代別の記事

感染症の広がりは、交易路や人の移動と切り離せません。また、医学の発達や国際機構の成立とも深く関わっています。あわせて読むと理解が深まる記事を紹介します。

記事この記事とのつながり
世界史のテーマ史:科学技術史種痘・細菌学・ペニシリンなど医学の発達を、ほかの発明・発見と並べて整理できる
世界史のテーマ史:東西交流史黒死病が広がった背景にある東西の交通路が分かる
世界史のテーマ史:民族移動・移民史人の移動と感染症の広がりを結びつけて考えられる
世界史のテーマ史:奴隷制と人権の歴史先住民人口の激減と大西洋奴隷貿易の関係が分かる
世界史のテーマ史:国際機構・地域統合史国際連合の専門機関としてのWHOを位置づけられる
古代ギリシア時代別の記事
ヨーロッパ史(1)時代別の記事
ヨーロッパ史(2)時代別の記事
産業革命時代別の記事
第一次世界大戦時代別の記事

ほかのテーマも、世界史のテーマ史の一覧でまとめて確認できます。

まとめ

感染症の歴史は、人の移動や密集が流行を広げ、流行による人口の減少が社会のしくみを変え、人々が医学や衛生、国際協力で対抗してきた歴史です。アテネの籠城、モンゴル帝国の交通、大航海時代、産業革命期の都市、第一次世界大戦と、流行の背景にはいつもその時代ならではの人の動きがありました。

時代流行社会の変化・対策
古代アテネの疫病ペリクレスが死去し、アテネが打撃を受けた
14世紀黒死病農民の地位が上がり、封建反動への反乱を通じて封建社会がゆらいだ
16世紀アメリカ大陸の天然痘など先住民の人口が激減し、大西洋奴隷貿易が広がった
18〜19世紀天然痘・コレラ種痘の普及、公衆衛生法、パリ改造による上下水道の整備
19世紀後半結核・コレラ・ペストなど細菌学の発展で病原体が次々に特定された
20世紀以降スペインかぜ、新しい感染症抗生物質の普及、WHOの発足と天然痘の根絶、国際的な監視と協力

最初に年表の「ポイント」の列で流れをつかみ、次に黒死病とアメリカ大陸の比較表で因果の違いを確かめ、最後に論述の要点を自分の言葉で書いてみてください。流行と社会の変化をセットで説明できるようになれば、このテーマは得点源になります。

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