朝鮮・東南アジア・内陸アジアの歴史は、世界史の通史では中国史やヨーロッパ史の合間に少しずつ顔を出します。一つの地域をまとめて学ぶ機会が少ないため、王朝の順番や国の名前がばらばらの知識になりやすく、正誤問題や並べ替え問題で失点しやすい分野です。
入試では、「どの国がどの中国王朝と結んだのか、あるいは争ったのか」「どの王朝がどの宗教を受け入れたのか」という組み合わせがよく問われます。論述では、北方の遊牧国家と中国王朝の関係や、東南アジアの植民地化とタイの独立の維持が定番のテーマです。
この記事では、3つの地域を古代から20世紀半ばまで地域ごとに縦に並べ、中国王朝との関係を軸に整理します。アフリカとラテンアメリカは、続編の「アフリカ・ラテンアメリカ編」で扱います。

最後にこの記事の内容をまとめた確認プリントもあります!最後まで読み、プリントで復習してこの範囲を完璧にしましょう!
| この記事で分かること | 該当する節 |
|---|---|
| 3つの地域の国と王朝の順番 | まず全体像 |
| 各地域が中国王朝やヨーロッパとどう関わったか | 地域ごとに詳しく見る |
| 冊封を受けた相手、宗教、文字の組み合わせ | 比べて覚える |
| 王朝と出来事の組み合わせで誤りやすい点 | 入試で狙われるポイント |
| 論述で使える要点と用語 | 論述で使える要点 |
まず全体像:3つの地域の流れを一枚でつかむ
3つの地域に共通するのは、すぐ隣に中国の大きな王朝があったことです。朝鮮半島とベトナムの王朝は、中国の皇帝から国王に任命される冊封を受けて関係を保ちました。一方、北方の遊牧国家は、中国王朝と戦ったり、絹や銀を受け取る約束を結んだりしながら、ときには中国を支配する側にも回りました。
近代になると、東南アジアの大部分はヨーロッパ諸国とアメリカの植民地になり、朝鮮は日本に併合されました。内陸アジアは、それより前の18世紀に清の支配下に入っています。まずは下の年表の「ポイント」の列で、地域ごとの大きな転換点をつかんでください。


| 地域 | 年号 | できごと | ポイント |
|---|---|---|---|
| 内陸アジア | 前200年 | 白登山の戦い | 匈奴の冒頓単于が漢の高祖を破る |
| 朝鮮 | 前108年 | 楽浪郡など4郡の設置 | 前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼす |
| 東南アジア | 前111年 | 南越の滅亡 | ベトナム北部が前漢の支配下に |
| 朝鮮 | 313年 | 楽浪郡の滅亡 | 高句麗が朝鮮北部に広がる |
| 内陸アジア | 552年 | 突厥の建国 | 柔然から独立したトルコ系の遊牧国家 |
| 朝鮮 | 676年 | 新羅の半島統一 | 唐と結んで百済・高句麗を倒し、のち唐を退ける |
| 内陸アジア | 744年 | ウイグルの建国 | 安史の乱で唐を助ける |
| 東南アジア | 802年 | アンコール朝の成立 | カンボジアの王朝。アンコール=ワットを残す |
| 朝鮮 | 918年 | 高麗の建国 | 王建が建て、936年に半島を統一 |
| 内陸アジア | 1004年 | 澶淵の盟 | 宋が契丹(遼)に毎年銀と絹を贈る |
| 東南アジア | 1009年 | 李朝の成立 | ベトナムで最初の長期王朝(大越) |
| 内陸アジア | 1206年 | モンゴル帝国の成立 | チンギス=ハンが即位 |
| 内陸アジア | 1370年 | ティムール朝の成立 | 中央アジアのサマルカンドを都とする |
| 朝鮮 | 1392年 | 朝鮮王朝の建国 | 李成桂が建て、明の冊封を受ける |
| 朝鮮 | 1446年 | 訓民正音の公布 | 世宗が定めた朝鮮の文字 |
| 内陸アジア | 1449年 | 土木の変 | オイラトが明の皇帝を捕らえる |
| 東南アジア | 1511年 | マラッカの占領 | ポルトガルが交易の要地を押さえる |
| 東南アジア | 1571年 | マニラの建設 | スペインのフィリピン支配の拠点 |
| 内陸アジア | 1759年 | 新疆の成立 | 清がジュンガルを滅ぼし、東トルキスタンも平定 |
| 朝鮮 | 1876年 | 日朝修好条規 | 日本との不平等条約で開国 |
| 東南アジア | 1887年 | フランス領インドシナ連邦 | ベトナムとカンボジアをまとめる |
| 朝鮮 | 1910年 | 韓国併合 | 日本の植民地となる |
| 朝鮮 | 1948年 | 南北に2つの国家が成立 | 北緯38度線を境にした分割占領から |
| 東南アジア | 1967年 | ASEANの結成 | 5か国で発足した地域協力の組織 |
地域ごとに詳しく見る
ここからは、朝鮮、東南アジア、内陸アジアの順に、それぞれの流れを見ていきます。朝鮮とベトナムでは「中国王朝の冊封を受けながら、どう独立を保ったか」、内陸アジアでは「遊牧国家が中国王朝とどんな関係を結んだか」を意識して読むと、国が入れかわる理由がつかみやすくなります。
朝鮮(1):楽浪郡から新羅の統一まで
朝鮮半島の北部には、紀元前2世紀の初めに、燕から亡命してきた衛満が建てた衛氏朝鮮がありました。前108年、前漢の武帝はこの国を滅ぼし、楽浪・真番・臨屯・玄菟の4郡を置いて直接支配しました。中心となった楽浪郡は、中国の文化が半島に伝わる窓口になりました。
やがて北方の高句麗が南へ勢力をのばし、313年に楽浪郡を滅ぼしました。半島の南西部には百済、南東部には新羅がおこり、4世紀には3国が並び立つ三国時代となります。高句麗は、中国を統一した隋の煬帝による遠征を退け、この失敗は隋が滅びる原因の一つになりました。
7世紀に入ると、新羅は唐と手を結び、660年に百済を、668年に高句麗を滅ぼしました。この間の663年には、百済の復興を助けようとした日本(倭)の軍が、白村江の戦いで唐・新羅の軍に敗れています。その後、新羅は半島を支配しようとする唐の勢力を追い出し、676年に半島の大部分を統一しました。
統一後の新羅は、唐の制度にならって国を治め、唐の文化を取り入れました。都の金城(慶州)には仏国寺が建てられ、仏教が栄えました。一方で、社会は骨品制という血筋による厳しい身分制度で固められていました。また、高句麗が滅びたあとの中国東北地方には、698年に大祚栄が高句麗の遺民と靺鞨人をまとめて国を建てました。この国は713年に唐から渤海郡王に封じられ、渤海と呼ばれるようになります。
| 国 | 位置 | 中国王朝との関係 | 結末 |
|---|---|---|---|
| 高句麗 | 中国東北地方から半島北部 | 隋・唐の遠征を受ける | 668年、唐・新羅に滅ぼされる |
| 百済 | 半島南西部 | 日本(倭)と結ぶ | 660年、唐・新羅に滅ぼされる |
| 新羅 | 半島南東部 | 唐と結び、のち唐の勢力を退ける | 676年に半島を統一 |
| 渤海 | 中国東北地方 | 唐から渤海郡王に封じられる | 926年、契丹に滅ぼされる |
朝鮮(2):高麗と朝鮮王朝
新羅の末期に各地で反乱が起こると、その中から王建が918年に高麗を建て、開城を都としました。高麗は935年に新羅を併せ、936年に後百済を滅ぼして半島を統一しました。また、中国にならって科挙を取り入れました。その後、北方の契丹の侵入をたびたび受け、13世紀にはモンゴルの侵攻に長く抵抗したのち、服属しました。こののち高麗は元の支配を受け、元の日本遠征にも兵や船を出すことになります。




高麗の時代には、仏教の経典を集めた高麗版大蔵経が作られました。モンゴルの侵入を仏の力で退けようと、版木を彫り直したものです。また、金属活字による印刷も行われ、高麗青磁と呼ばれる美しい青緑色の磁器も生まれました。
14世紀後半、倭寇の撃退などで力をつけた武将の李成桂が、1392年に高麗を倒して朝鮮王朝を建てました。都は漢城(現在のソウル)に置かれ、明の冊封を受けました。朝鮮王朝は朱子学を国の教えとし、科挙を通じて官僚を出した両班と呼ばれる支配層が社会を動かしました。第4代の世宗は、1446年に朝鮮語を書き表すための文字である訓民正音を公布しました。
16世紀末には、豊臣秀吉の軍が2度にわたって朝鮮に攻めこみました。朝鮮は、李舜臣の率いる水軍の活躍や明の援軍によって抵抗し、日本軍はやがて引きあげました。しかし17世紀前半には、中国東北地方でおこった清(初めの国号は後金)の侵攻を受け、清に服属することになりました。
| 時期 | 朝鮮の王朝 | 向き合った中国側の王朝 | 関係 |
|---|---|---|---|
| 10〜12世紀 | 高麗 | 宋・契丹(遼) | 契丹の侵入を受ける |
| 13〜14世紀 | 高麗 | モンゴル(元) | 服属し、元の日本遠征に動員される |
| 14世紀末〜 | 朝鮮王朝 | 明 | 冊封を受ける。豊臣秀吉の侵攻では明が援軍 |
| 17世紀〜 | 朝鮮王朝 | 清 | 侵攻を受けて服属する |
朝鮮(3):開国から韓国併合、南北の分立まで
朝鮮王朝の対外関係が大きく変わるのは19世紀後半です。1875年の江華島事件をきっかけに、翌1876年に日本と日朝修好条規を結んで開国しました。この条約は、日本に領事裁判権を認めるなど、朝鮮にとって不平等な内容でした。
1894年、東学を信仰する農民たちが甲午農民戦争を起こすと、鎮圧を名目に清と日本が出兵し、日清戦争となりました。日本が勝ち、1895年の下関条約で清は朝鮮の独立を認めました。朝鮮は1897年に国号を大韓と改め、国王が皇帝を名のりました(大韓帝国)。清との宗属関係を解消した独立国であることを示すための改称でした。
日露戦争のあと、日本は1905年に韓国の外交権を奪って保護国とし、1910年の韓国併合で植民地にしました。1919年には、独立を求める三・一独立運動が朝鮮全土に広がりました。
1945年に日本が敗れると、朝鮮半島は北緯38度線を境に、北をソ連、南をアメリカが占領しました。1948年には南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国が成立し、1950年に始まった朝鮮戦争は1953年の休戦協定で止まりました。
| 年 | できごと | 意味 |
|---|---|---|
| 1876年 | 日朝修好条規 | 不平等条約で開国する |
| 1894年 | 甲午農民戦争 | 日清戦争のきっかけになる |
| 1897年 | 大韓帝国 | 清から離れたことを示す国号 |
| 1905年 | 外交権を奪われる | 日本の保護国になる |
| 1910年 | 韓国併合 | 日本の植民地になる |
| 1919年 | 三・一独立運動 | 独立を求める運動が全土に広がる |
| 1948年 | 南北に2国家 | 米ソの分割占領から分立へ |
| 1950〜1953年 | 朝鮮戦争 | 休戦協定で戦闘が止まる |
東南アジア(1):港市国家と諸王朝
東南アジアは、インドと中国を結ぶ海の道の途中にあります。そのため、港町を拠点に交易で栄える港市国家が生まれました。宗教の面ではインドからヒンドゥー教や仏教が伝わり、のちにはイスラーム教も広がります。一方、中国の王朝とは朝貢や冊封の関係を結びました。
メコン川の下流には扶南が栄え、その外港だったオケオの遺跡からはローマの金貨も見つかっています。ベトナム中部には、2世紀末にチャム人がチャンパーを建てました。一方、ベトナム北部は前111年に前漢の武帝が南越を滅ぼしてから、長く中国の支配を受けました。
7世紀には、スマトラ島のパレンバンを中心にシュリーヴィジャヤが栄え、マラッカ海峡の交易を押さえました。唐の僧の義浄がインドへの往復の途中に滞在したように、大乗仏教がさかんでした。ジャワ島では、シャイレンドラ朝が大乗仏教の遺跡ボロブドゥールを残しています。
大陸部では、カンボジアに802年にアンコール朝が成立し、12世紀にはヒンドゥー教の寺院としてアンコール=ワットが造られました。ビルマ(ミャンマー)には11世紀にパガン朝がおこり、上座部仏教を受け入れました。ベトナムでは1009年に李朝が成立し、大越と号しました。その後の陳朝は元の侵攻を退け、15世紀には黎朝が明の支配をはね返して建国しています。




13世紀末には、ジャワ島にヒンドゥー教の王国マジャパヒトが成立しました。14世紀末ごろにマレー半島に成立したマラッカ王国は、明の鄭和の遠征で拠点となり、明に朝貢しました。15世紀にイスラーム教を受け入れたマラッカは、東南アジアにイスラーム教が広がる中心にもなりました。
| 王朝・国 | 地域 | 主な宗教 | 押さえる点 |
|---|---|---|---|
| シュリーヴィジャヤ | スマトラ島 | 大乗仏教 | マラッカ海峡の交易。義浄が滞在 |
| シャイレンドラ朝 | ジャワ島 | 大乗仏教 | ボロブドゥール |
| アンコール朝 | カンボジア | ヒンドゥー教、のち仏教 | アンコール=ワット |
| パガン朝 | ビルマ | 上座部仏教 | ビルマ人の王朝 |
| 李朝・陳朝 | ベトナム北部 | 中国の影響が強い | 国号は大越。陳朝は元を退ける |
| マジャパヒト | ジャワ島 | ヒンドゥー教 | 13世紀末に成立 |
| マラッカ王国 | マレー半島 | イスラーム教 | 鄭和の遠征の拠点、明に朝貢 |
東南アジア(2):ヨーロッパの進出・植民地化と独立
16世紀になると、ヨーロッパ勢力が東南アジアに進出しました。1511年にポルトガルがマラッカを占領し、1571年にはスペインがマニラを建設してフィリピン支配の拠点としました。17世紀にはオランダがジャワ島のバタヴィアを拠点に勢力を広げました。
19世紀には、各地が本格的に植民地になりました。オランダはジャワで、コーヒーなどの輸出用の作物を住民に作らせる強制栽培制度を行いました。イギリスはマラッカ海峡に面したペナン・マラッカ・シンガポールを海峡植民地としてまとめ、ビルマを3度の戦争のすえにインド帝国に併合しました。
フランスはベトナムに進出し、清仏戦争のあと、1885年の天津条約で清にベトナムの宗主権を放棄させました。1887年にはベトナムとカンボジアをあわせてフランス領インドシナ連邦を作り、1899年にラオスも加えました。フィリピンは、1898年の米西戦争の結果、スペインからアメリカの手に渡りました。


その中で、タイ(シャム)だけは独立を保ちました。西のイギリス領と東のフランス領の間の緩衝地帯となったことに加え、ラーマ5世(チュラロンコン)が行政・司法の西欧化や奴隷制の廃止などの近代化を進めたことが理由です。
| 宗主国 | 主な植民地 | 押さえる点 |
|---|---|---|
| イギリス | ビルマ、マレー半島 | ビルマはインド帝国に併合。海峡植民地 |
| オランダ | インドネシア(ジャワなど) | バタヴィアが拠点。強制栽培制度 |
| フランス | ベトナム、カンボジア、ラオス | 1887年にインドシナ連邦 |
| スペイン→アメリカ | フィリピン | マニラが拠点。米西戦争でアメリカへ |
| (独立を維持) | タイ | 英仏の緩衝地帯。ラーマ5世の近代化 |
1945年、日本の降伏の直後にインドネシアのスカルノが独立を宣言し、続いてベトナムでもホー=チ=ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言しました。1967年には、インドネシア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・タイの5か国が東南アジア諸国連合(ASEAN)を結成しました。
内陸アジア(1):匈奴から突厥・ウイグル・吐蕃まで
中国の北に広がるモンゴル高原では、遊牧民がたびたび強い国家を作りました。遊牧国家は騎馬の軍事力に優れる一方、穀物や絹などを農耕地帯に頼っていたため、中国王朝との関係は戦争と交易・贈り物のくり返しになりました。
紀元前3世紀末、匈奴の冒頓単于は遊牧諸部族をまとめ、前200年に白登山の戦いで漢の高祖を包囲しました。その後の漢は、匈奴に絹などを贈って和を結ぶ政策をとりましたが、武帝の時代には衛青・霍去病らに攻撃させて方針を転換しました。匈奴はのちに分裂して力を失い、2世紀には鮮卑がモンゴル高原の中心勢力となりました。鮮卑の一部は華北に進出し、拓跋氏が北魏を建てています。5世紀には柔然がモンゴル高原を支配しました。


6世紀半ば、トルコ系の突厥が552年に柔然から独立し、ササン朝と結んで中央アジアのエフタルを滅ぼしました。突厥はやがて東西に分かれ、東突厥は630年に唐に服属しました。のちに復興した突厥は、遊牧民として最初とされる独自の文字、突厥文字を残しています。
744年には、同じトルコ系のウイグルが突厥を倒して建国しました。ウイグルは安史の乱で唐に援軍を送って反乱の鎮圧を助け、唐とは馬と絹を交換する絹馬貿易を行いました。ソグド文字をもとにしたウイグル文字は、のちのモンゴル文字や満洲文字のもとになります。ウイグルは9世紀半ばにキルギスに敗れ、その一部は西のタリム盆地方面へ移りました。


同じころ、チベットでは7世紀にソンツェン=ガンポが吐蕃を建て、唐から文成公主を迎えました。吐蕃はインド系の文字をもとにチベット文字を作り、仏教を取り入れました。
| 遊牧国家 | 時期 | 相手の中国王朝 | 関係 |
|---|---|---|---|
| 匈奴 | 前3世紀末〜 | 漢 | 白登山の戦い→和親→武帝の攻撃 |
| 鮮卑 | 2世紀〜 | 魏晋南北朝 | 拓跋氏が華北に北魏を建てる |
| 柔然 | 5世紀〜 | 北魏 | 北魏と対立する |
| 突厥 | 552年〜 | 隋・唐 | 東西分裂。東突厥は唐に服属 |
| ウイグル | 744年〜9世紀半ば | 唐 | 安史の乱で唐を助け、絹馬貿易 |
| 吐蕃 | 7世紀〜 | 唐 | 文成公主を迎える |
内陸アジア(2):契丹・西夏・モンゴル帝国
10世紀には、モンゴル系の契丹が耶律阿保機のもとで916年に国を建て、926年に渤海を滅ぼしました。さらに936年に燕雲十六州を手に入れて長城の南の農耕地帯も支配し、遊牧民は部族制、農耕民は中国式の州県制で治める二重の統治体制をとりました。1004年に宋と澶淵の盟を結び、宋から毎年銀と絹を受け取るようになります。
中国の西北部では、タングートの李元昊が1038年に西夏を建てました。契丹は契丹文字を、西夏は西夏文字を作り、中国文化を取り入れながらも自分たちの文化を保とうとしました。契丹は1125年に女真の金に滅ぼされ、一族の耶律大石は中央アジアに逃れて西遼を建てました。
13世紀の初め、モンゴル高原の諸部族をまとめたテムジンが、1206年にチンギス=ハンとして即位しました。モンゴルは遊牧民を千戸制という軍事と行政の単位に組み直して、各地へ遠征しました。西夏は1227年、金は1234年に滅ぼされます。フビライは1271年に国号を元とし、1279年に南宋を滅ぼして中国全土を支配しました。1368年に明が成立すると、元の朝廷はモンゴル高原へ退きました。
| 国 | 民族 | 文字 | 中国王朝との関係 |
|---|---|---|---|
| 契丹(遼) | 契丹 | 契丹文字 | 燕雲十六州を得る。澶淵の盟で宋から銀・絹 |
| 西夏 | タングート | 西夏文字 | 宋と対立しつつ和約を結ぶ |
| 金 | 女真 | 女真文字 | 契丹と北宋を滅ぼす |
| モンゴル(元) | モンゴル | ウイグル文字をもとにした文字など | 金・南宋を滅ぼして中国を支配 |
内陸アジア(3):ティムール朝・オイラト・タタールから清の藩部へ
モンゴル帝国が分かれたあと、中央アジアではティムールが1370年にティムール朝を建て、サマルカンドを都としました。ティムールは1402年のアンカラの戦いでオスマン帝国を破りましたが、明への遠征の途中で亡くなりました。ティムール朝は16世紀初めにウズベクに滅ぼされます。
モンゴル高原では、明の時代にもモンゴル系の勢力が力を保ちました。15世紀にはオイラトのエセンが、1449年の土木の変で明の正統帝を捕らえました。16世紀にはタタールのアルタン=ハンが北京を包囲しました。明は北の遊牧勢力と南の倭寇に同時に苦しめられ、この状態は北虜南倭と呼ばれます。
こうした北方の問題に決着をつけたのが清です。清は建国の前後に内モンゴルを従え、康熙帝の時代には外モンゴルまで勢力をのばしました。さらに乾隆帝はモンゴル系のジュンガルを滅ぼし、東トルキスタンも平定して、1759年にこの地域を新疆と名づけました。
清は、モンゴル・青海・チベット・新疆を藩部とし、理藩院という役所に管理させました。藩部では、現地の有力者に従来の支配を認める間接的な統治が行われました。こうして、匈奴の時代から続いた遊牧国家と中国王朝の争いは、清という一つの帝国の中に組みこまれる形で終わりました。
| 支配の形 | 地域 | 統治のしかた |
|---|---|---|
| 直轄地 | 中国本土・東北地方など | 中国式の官僚制度で直接治める |
| 藩部 | モンゴル・青海・チベット・新疆 | 理藩院が管理し、現地の有力者を通じて治める |
| 周辺の王朝 | 朝鮮・ベトナム(阮朝)など | 冊封を与え、朝貢を受ける |
比べて覚える
| 項目 | 朝鮮 | ベトナム |
|---|---|---|
| 中国の直接支配 | 前108年から楽浪郡など4郡 | 前111年から南越の故地に郡を置く |
| 独立した王朝 | 新羅(676年に統一)、高麗、朝鮮王朝 | 李朝(1009年)、陳朝、黎朝 |
| モンゴルとの関係 | 高麗が服属する | 陳朝が侵攻を退ける |
| 独自の文字 | 訓民正音(1446年公布) | 字喃(チュノム) |
| 近代 | 日本に併合される(1910年) | フランス領インドシナ連邦(1887年) |
| 項目 | 高麗(918〜1392年) | 朝鮮王朝(1392〜1910年) |
|---|---|---|
| 建国者・都 | 王建・開城 | 李成桂・漢城 |
| 重んじた教え | 仏教 | 朱子学 |
| 代表的な文化 | 高麗版大蔵経、金属活字、高麗青磁 | 訓民正音、両班の社会 |
| 主な対外関係 | 契丹の侵入、モンゴルに服属 | 明の冊封、豊臣秀吉の侵攻、清に服属 |
入試で狙われるポイント
正誤問題では、国と中国王朝、国と宗教・文字の組み合わせをずらした選択肢がよく出されます。左の列のような文を見たら、右の列の正しい内容がすぐに浮かぶようにしておきましょう。
| 誤りやすい記述 | 正しい内容 |
|---|---|
| 新羅は隋と結んで百済と高句麗を滅ぼした | 結んだ相手は唐。隋は高句麗への遠征に失敗した |
| 訓民正音は高麗の時代に作られた | 朝鮮王朝の世宗が1446年に公布した |
| 高麗版大蔵経は朝鮮王朝で作られた | 高麗の時代。モンゴルの侵入を退ける願いがこめられた |
| パガン朝は大乗仏教を受け入れた | パガン朝は上座部仏教。大乗仏教はシュリーヴィジャヤなど |
| マジャパヒト王国はイスラーム教国である | ヒンドゥー教の王国。イスラーム教を受け入れたのはマラッカ王国 |
| フィリピンはフランスの植民地になった | スペイン、のちアメリカ。フランスはインドシナ |
| タイはイギリスの植民地になった | 英仏の緩衝地帯となり、独立を保った |
| ウイグルは安史の乱で反乱軍を助けた | 唐に援軍を送り、反乱の鎮圧を助けた |
| 澶淵の盟は宋と西夏の和約である | 宋と契丹(遼)の和約(1004年) |
| 土木の変でタタールが明の皇帝を捕らえた | オイラトのエセン。タタールはアルタン=ハン |
論述で使える要点
論述では、国の名前を並べるだけでなく、なぜその関係が結ばれたのか、何が変わったのかを説明することが求められます。よく問われる2つのテーマについて、要点の例を示します。
例1「北方の遊牧国家と中国王朝」(150字程度):遊牧国家は騎馬の軍事力で中国王朝をおびやかした。漢は白登山の戦いで匈奴に敗れて和親策をとり、唐は安史の乱でウイグルの援軍を頼った。宋は澶淵の盟で契丹に銀と絹を贈った。モンゴルは中国全土を支配したが、清はジュンガルを滅ぼしてモンゴルや新疆を藩部とし、長い対立を帝国の中に組みこんだ。
例2「東南アジアの植民地化とタイ」(130字程度):19世紀、オランダはジャワで強制栽培制度を行い、イギリスはビルマをインド帝国に併合してマレー半島にも進出した。フランスは清仏戦争後にインドシナ連邦を作った。タイは英仏の勢力の緩衝地帯となり、ラーマ5世の近代化改革もあって独立を保った。
| テーマ | 入れるべき用語 |
|---|---|
| 新羅の統一 | 唐、百済、高句麗、白村江の戦い、676年、骨品制 |
| 朝鮮王朝と中国 | 李成桂、明の冊封、朱子学、両班、訓民正音、清に服属 |
| 東南アジアの植民地化 | 強制栽培制度、海峡植民地、インド帝国、天津条約、インドシナ連邦、米西戦争、ラーマ5世 |
| 遊牧国家と中国 | 冒頓単于、和親策、突厥文字、絹馬貿易、澶淵の盟、藩部、理藩院 |
確認問題
3つの地域に出てきた国や用語を、一問一答で確かめましょう。答えは本文の太字や表に出てきた語句ばかりです。地域が混ざっても答えられるか、順番を気にせず解いてみてください。
- 1前108年に衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪郡など4郡を置いた前漢の皇帝は?
- 2同じ武帝は前111年に南越も滅ぼした新羅が唐と結んで滅ぼした2つの国のうち、668年に滅びた国は?
- 3百済は660年に滅びた統一新羅の社会を固めた、血筋による身分制度は?
- 4都の金城には仏国寺が建てられた918年に高麗を建てた人物は?
- 5都は開城、936年に半島を統一した1392年に朝鮮王朝を建てた人物は?
- 6明の冊封を受けた朝鮮王朝の世宗が1446年に公布した文字は?
- 7朝鮮語を書き表すための文字1876年に朝鮮が日本と結び、開国した条約は?
- 8日本に領事裁判権を認める不平等条約スマトラ島のパレンバンを中心に栄え、大乗仏教がさかんだった国は?
- 9唐の義浄が滞在したカンボジアのアンコール朝が12世紀に造った寺院は?
- 10ヒンドゥー教の寺院として造られた1009年にベトナムで成立し、大越と号した王朝は?
- 11その後の陳朝は元の侵攻を退けた15世紀にイスラーム教を受け入れ、明に朝貢したマレー半島の王国は?
- 121511年にポルトガルに占領された近代化を進め、タイの独立を保つのに力を尽くした国王は?
- 13チュラロンコンとも呼ばれる前200年に白登山の戦いで漢の高祖を破った匈奴の君主は?
- 14漢はその後、和親策をとった安史の乱で唐に援軍を送ったトルコ系の遊牧国家は?
- 15唐と絹馬貿易を行った清がモンゴル・青海・チベット・新疆を管理させた役所は?これらの地域を藩部という
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。
ほかの時代の用語も確かめたいときは、世界史一問一答で地域や時代を混ぜて解いてみてください。
世界史 地域別の縦断史(東アジア周辺・内陸アジア編)の内容をまとめて復習できる解説つきの問題集(PDF・全19問)を用意しました。下のファイルをダウンロードして、印刷して使ってください。
テーマ史の勉強の進め方
朝鮮・東南アジア・内陸アジアは、通史の中では中国史の章に分かれて出てくるため、地域としての流れが見えにくい分野です。中国史をひととおり学んだあとで、この記事のように地域ごとに縦に並べ直すと、中国王朝の交代と周辺の国の交代が対応していることに気づけます。
| 段階 | やること | 目安 |
|---|---|---|
| 1 | 通史で、中国史と周辺地域の章を一度学ぶ | 中国史が一周したあと |
| 2 | 年表を地域ごとに読み、国の順番を声に出して確認する | 1地域10分ほど |
| 3 | 宗教・文字・冊封の相手の表を隠して、白紙に再現する | 書けなかった欄に印をつける |
| 4 | 論述の要点を見ずに、150字で因果をまとめてみる | 数日おいて繰り返す |
周辺地域の歴史は、東西の交易路や人の移動、宗教の広がりともつながっています。関連するテーマ史とあわせて読むと、アジア全体の動きがつかみやすくなります。
通史とテーマ史をどの順番で進めればいいか、独学で間に合うかの判定方法は、世界史は独学で間に合う?で詳しく解説しています。論述の添削を頼める家庭教師やオンライン塾の選び方もまとめています。
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周辺地域の歴史は、交易路や宗教、中国王朝の制度と深く結びついています。あわせて読むと理解が深まる記事を紹介します。
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まとめ
朝鮮・東南アジア・内陸アジアの歴史は、どれも中国王朝との関係を軸に動いてきました。朝鮮とベトナムは冊封を受けながら独自の王朝と文字を守り、遊牧国家は中国王朝と争い、ときに中国を支配しました。近代には、東南アジアの多くがヨーロッパ諸国とアメリカの植民地になり、朝鮮は日本に併合されました。
| 地域 | 国の流れ | 中国王朝などとの関係の要点 |
|---|---|---|
| 朝鮮 | 楽浪郡→三国→新羅→高麗→朝鮮王朝→大韓帝国 | 唐と結んで統一、元に服属、明の冊封、清に服属、日本に併合 |
| 東南アジア | 港市国家→諸王朝→植民地→独立 | ベトナムは冊封を受けつつ独立を保つ。タイだけが独立を維持 |
| 内陸アジア | 匈奴→突厥・ウイグル→契丹・西夏→モンゴル→清の藩部 | 和親・対立・征服をくり返し、清の支配下に入る |









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