MENU
このページの目次
Mino
著者(サイト運営者)
弁護士志望のロースクール生が運営しております。

法学部⇒ロースクール(法科大学院)

これまで7年以上にわたって120名以上(計1200コマ)の受験生を中学・高校・大学受験の文系科目を中心に担当。

趣味:読書・スポーツ観戦・音楽鑑賞

受験生やその親御さま、塾講師の方が読んで少しでも「役に立った・知れてよかった!」と思えるような記事を発信してまいります!

大事にしている価値観:自分の生き方は自分自身で決める、意志あるところに道は開かれる
【小・中・高校生必見!】「受験が終わったらすべきこと」リストはここをクリック!

世界史 アフリカ・ラテンアメリカ史まとめ|王国の興亡と独立

当ページのリンクにはプロモーションが含まれています。
世界史 アフリカ・ラテンアメリカ史まとめ|王国の興亡と独立

アフリカとラテンアメリカの歴史は、世界史の通史ではイスラーム世界やヨーロッパの章の途中に、少しずつ分かれて登場します。そのため流れが見えにくく、王国と交易品、征服者と年の組み合わせで迷いやすい分野です。

入試では、西アフリカの王国の順番、独立運動の指導者と国の組み合わせ、アフリカ分割で衝突したイギリスとフランスの政策などが正誤問題の定番です。論述では、植民地社会のしくみと独立の担い手、アフリカ分割の原則がよく取り上げられます。

この記事は東アジア周辺・内陸アジア編の続編として、2つの地域を古代から20世紀後半まで縦に並べます。軸は「王国の興亡」「ヨーロッパとの関係」「植民地化と独立」の3つです。奴隷貿易と奴隷制の廃止は別の記事で扱うため、ここでは王国や社会への影響にしぼって触れます。

最後にこの記事の内容をまとめた確認プリントもあります!最後まで読み、プリントで復習してこの範囲を完璧にしましょう!

この記事で分かること該当する節
2つの地域の王国・文明と、植民地化・独立の順番まず全体像
交易で栄えた理由と、ヨーロッパ進出後の変化地域ごとに詳しく見る
西と東のアフリカ、アステカとインカ、独立の形の違い比べて覚える
人物・国・政策の組み合わせで誤りやすい点入試で狙われるポイント
論述で使える要点と用語論述で使える要点
目次(見たいところをクリックできます!)

まず全体像:2つの地域の流れを一枚でつかむ

2つの地域では、どちらもヨーロッパ人が来る前から独自の王国や文明が栄えていました。違うのは植民地になった時期です。ラテンアメリカは16世紀にスペインとポルトガルに征服され、19世紀前半に多くの国が独立しました。アフリカでは19世紀半ばまでヨーロッパの支配は沿岸の拠点などにとどまり、内陸まで分割されたのは19世紀末、独立の中心は1950〜60年代です。

下の年表では、2つの地域の出来事を1本の時間軸に並べました。「ラテンアメリカが次々に独立したころ、アフリカではまだ分割が始まっていない」という時間のずれを意識して読んでください。

アフリカとラテンアメリカの流れを、古代から20世紀まで5つの時期に分けて並べ、独立の時期のずれを示した図
2つの地域の流れ
地域年できごとポイント
アフリカ前8世紀クシュ王国がエジプトに進出エジプト第25王朝を開く
アフリカ4世紀アクスム王国がクシュ王国を滅ぼす同じ4世紀にキリスト教を受容
アフリカ1076年ごろガーナ王国がムラービト朝の攻撃を受けるサハラ縦断交易の王国が衰える
アフリカ1324年マンサ=ムーサのメッカ巡礼マリ王国の金の豊かさが知られる
ラテンアメリカ1492年コロンブスがカリブ海の島に到達スペインの援助による航海
ラテンアメリカ1521年コルテスがアステカ王国を征服メキシコがスペイン領に
ラテンアメリカ1533年ピサロがインカ帝国を征服アンデスもスペイン領に
ラテンアメリカ1804年ハイチの独立ラテンアメリカ最初の独立国
ラテンアメリカ1822年ブラジルの独立ポルトガルの王子が皇帝に
ラテンアメリカ1823年モンロー教書アメリカ大陸とヨーロッパの相互不干渉
アフリカ1884〜85年ベルリン会議アフリカ分割の原則を決める
アフリカ1898年ファショダ事件イギリスとフランスが衝突
ラテンアメリカ1898年米西戦争アメリカ合衆国がカリブ海へ進出
ラテンアメリカ1910年メキシコ革命が始まるディアスの独裁を倒す
ラテンアメリカ1959年キューバ革命カストロがバティスタ政権を倒す
アフリカ1960年アフリカの年17か国が独立
アフリカ1963年アフリカ統一機構の結成2002年にアフリカ連合へ

地域ごとに詳しく見る

ここからは、アフリカを4つ、ラテンアメリカを3つの時期に分けて見ていきます。アフリカでは「何の交易で栄えたか」、ラテンアメリカでは「征服後の社会と独立の担い手」に注目してください。

アフリカ(1):ナイル上流と東アフリカの古代王国(クシュ・アクスム)

ナイル川の上流、現在のスーダンにあたる地域には、クシュ王国が興りました。クシュは前8世紀にエジプトへ進出して第25王朝を開きましたが、前7世紀にアッシリアの攻撃を受けてエジプトから退き、のちに都を南のメロエへ移しました。メロエの周辺は鉄鉱石と燃料になる木に恵まれ、製鉄がさかんになります。独自のメロエ文字も使われましたが、今も解読されていません。

一方、エチオピア高原の北部では、紀元前後にアクスム王国が興り、紅海やインド洋を通じた交易で栄えました。4世紀にはエザナ王のもとでキリスト教を受け入れ、同じ4世紀にクシュ王国を滅ぼしています。7世紀以降、紅海の交易をイスラーム勢力が握るようになると、アクスムは力を失いました。

王国位置特色結末
クシュ王国ナイル川上流(現在のスーダン)エジプト第25王朝。都メロエで製鉄、メロエ文字4世紀、アクスム王国に滅ぼされる
アクスム王国エチオピア高原北部紅海・インド洋の交易。4世紀にキリスト教7世紀以降、イスラーム勢力の進出で衰える

アフリカ(2):西アフリカの王国とサハラ縦断交易

サハラ砂漠の南の縁にあたる西アフリカでは、サハラでとれる岩塩と西アフリカでとれる金を交換する交易で、王国が次々と栄えました。ラクダの隊商で砂漠を越え、南北の産物を仲立ちしたのは、アラブ人やベルベル人の商人たちです。

最初に栄えたガーナ王国は、現在のガーナ共和国とは場所が異なり、セネガル川とニジェール川の上流の北側にありました。王は塩と金の取り引きに税をかけて富を集めましたが、1076年ごろ、モロッコのムラービト朝の攻撃で都が陥落し、勢いを失います。この攻撃で王国が崩れたのか、弱まっただけなのかには諸説あります。

13世紀にはマリ王国が勢力を広げ、14世紀前半に最盛期を迎えました。マンサ=ムーサ王は1324年から翌年にかけてメッカへ巡礼し、途中のカイロで大量の金を配ったため、金の相場が下がったと伝えられます。王がイスラーム教を受け入れていたことも、この巡礼から分かります。塩と金の中継地となったニジェール川湾曲部の都市トンブクトゥは、マリの時代に大きく発展しました。

15世紀後半には、ガオを都とするソンガイ王国がマリに代わって台頭しました。ソンガイの時代のトンブクトゥにはモスクや大学が建てられ、西アフリカのイスラーム文化と学問の中心になります。しかし1591年、モロッコ軍の攻撃を受けて王国は崩壊し、トンブクトゥも衰えていきました。

西アフリカのサハラ縦断交易(塩と金)と、東アフリカのインド洋交易(金・象牙)の位置関係を示す模式図
アフリカの2つの交易
サハラの岩塩と西アフリカの金。この交換が、ガーナ・マリ・ソンガイの繁栄を支えました
王国最盛期押さえる点結末
ガーナ王国10〜11世紀塩と金の交易に課税1076年ごろ、ムラービト朝の攻撃で衰える
マリ王国14世紀前半マンサ=ムーサのメッカ巡礼15世紀に衰え、ソンガイに取って代わられる
ソンガイ王国15世紀後半〜16世紀都ガオ。トンブクトゥが学問の中心に1591年、モロッコ軍の攻撃で崩壊

アフリカ(3):東アフリカ・南部のインド洋交易とヨーロッパの来航

アフリカの東海岸では、マリンディ・モンバサ・キルワなどの港町がインド洋交易の拠点として栄え、ムスリム商人が内陸から運ばれる金や象牙を取り引きしました。港町では、バントゥー系の人々の言葉にアラビア語が多く取り入れられて、スワヒリ語が生まれます。「スワヒリ」はアラビア語で「海岸」を意味する言葉に由来し、港町で育った都市の文化はスワヒリ文化と呼ばれます。

港町に運ばれた金の多くは、南の内陸で産出したものでした。現在のジンバブエを中心とする地域では、ショナ人のモノモタパ王国が金や象牙をインド洋交易に送り出し、綿布やガラス玉を手に入れました。巨大な石造建築の遺跡であるジンバブエ遺跡は13〜15世紀に最盛期を迎えましたが、モノモタパ王国との関係には諸説あります。

15世紀、ポルトガルはアフリカ西岸を南へ進む航海を重ね、1488年に南端の喜望峰に達しました。1498年、ヴァスコ=ダ=ガマはマリンディでムスリムの水先案内人を得て、インドのカリカットに着きます。以後、モンバサなどの港町はポルトガルとの争いに巻きこまれました。1652年にはオランダ東インド会社がアフリカ南端にケープ植民地を築き、この地は1814年にイギリス領となっています。

大西洋の側では、16世紀以降、アフリカの人々を南北アメリカの農園や鉱山に送る奴隷貿易が広がりました。ヨーロッパの武器がアフリカへ、奴隷がアメリカへ、砂糖などがヨーロッパへ運ばれる三角貿易です。ギニア湾岸のダホメ王国のように、奴隷を売って得た武器でさらに奴隷狩りを行い、強大になった国もありました。奴隷制とその廃止については、奴隷制と人権の歴史で扱います。

インド洋を行き交う帆船と、石造りの港町。キルワなどの港町は金や象牙の取り引きで栄えました
港町・国場所押さえる点
マリンディケニアの沿岸鄭和の艦隊が来航。ガマが水先案内人を得る
モンバサケニアの沿岸11世紀ごろからの交易港。のちポルトガルと争う
キルワタンザニアの沿岸南の金の取り引きで繁栄。スワヒリ文化の中心の一つ
モノモタパ王国現在のジンバブエ周辺ショナ人の王国。金・象牙を輸出
ケープ植民地アフリカ南端1652年にオランダが建設、1814年にイギリス領

アフリカ(4):アフリカ分割と独立

19世紀後半、ヨーロッパ諸国は原料の供給地や製品の市場としてアフリカに目を向け、探検家や宣教師を先頭に内陸へ進出しました。各国の対立を調整するため、ドイツのビスマルクの呼びかけで1884〜85年にベルリン会議(ベルリン=コンゴ会議)が開かれます。会議では、ベルギー国王レオポルド2世の組織がコンゴ盆地を治めることが認められ、国王の私有地にあたるコンゴ自由国が生まれました。

また、沿岸部を新たに領土にするときは他国に通告し、その土地を実効支配していなければならない、という原則も決まりました。会議のあと、各国は先を争って内陸へ進み、分割は一気に加速します。

イギリスはエジプトを事実上の支配下に置き、カイロとケープタウンを結ぶ縦断政策を進めました。インドのカルカッタを加えた3都市を結ぶ構想は、頭文字から3C政策と呼ばれます。一方フランスは、西アフリカとアフリカ東岸のジブチ方面を結ぶ横断政策をとりました。1898年、両国の軍はナイル川上流のファショダで向き合います(ファショダ事件)。戦争の危機に至りましたが、フランスが譲歩して退き、これを機に両国は1904年に英仏協商を結びました。南部では、イギリスがブール人(オランダ系移民の子孫)の国々を1899〜1902年の南アフリカ戦争で降伏させ、1910年に南アフリカ連邦を発足させています。

イギリスの縦断政策とフランスの横断政策がファショダで交わり、エチオピアとリベリアが独立を保ったことを示す模式図
アフリカ分割
国とった政策・行動結果
イギリス縦断政策(3C政策)ファショダでフランスと対立。南アフリカ戦争に勝つ
フランス横断政策ファショダ事件で譲歩し、英仏協商へ
ベルギー国王がコンゴを私有地に過酷な支配が非難され、1908年にベルギーの植民地に
イタリアエリトリアからエチオピアに侵入1896年、アドワの戦いで敗れる

20世紀の初めまでに、アフリカのほぼ全土が列強に分けられました。独立を保ったのは、東のエチオピアと西のリベリアだけです。エチオピアは皇帝メネリク2世のもとで軍備の近代化を進め、1896年のアドワの戦いでイタリア軍を破りました。リベリアは、アメリカ合衆国から移った解放奴隷が建て、1847年に独立した共和国です。そのエチオピアも、1935〜36年にはファシスト政権のイタリアに併合されました。

第二次世界大戦後、1957年にイギリス領ゴールド・コーストがエンクルマの指導でガーナとして独立し、国名にはかつての西アフリカの王国の名が選ばれました。1960年には17か国が一度に独立し、「アフリカの年」と呼ばれます。1963年にはアディスアベバでアフリカ統一機構(OAU)が結成され、アフリカ諸国の連帯と植民地主義の一掃をめざしました。OAUは2002年にアフリカ連合(AU)へと改組されています。

ラテンアメリカ(1):メソアメリカとアンデスの文明

アメリカ大陸では、トウモロコシなどの栽培を土台とする文明が独自に育ちました。メキシコから中央アメリカにかけてのメソアメリカでは、紀元前にメキシコ湾岸でオルメカ文明が栄え、のちの文明に大きな影響を与えました。ユカタン半島からグアテマラにかけてはマヤ文明が3世紀ごろから都市を発達させ、8世紀ごろに最盛期を迎えます。マヤは一つの帝国ではなく、ピラミッド状の神殿をもつ多くの都市が並び立つ世界で、マヤ文字や精密な暦が発達しました。

メキシコ高原では、前2世紀ごろから6世紀ごろにかけてテオティワカンが栄え、太陽と月のピラミッドを残しました。14世紀には、アステカ人がテスココ湖に浮かぶ島に都テノチティトランを築き、15世紀にメキシコ高原を支配する王国へ成長します。都の跡地には、現在のメキシコシティがあります。

南アメリカのアンデス山地では、クスコを都とするインカ帝国が15世紀に急速に広がり、現在のエクアドルからチリに及ぶ大帝国となりました。王は太陽の子とされました。インカには文字がなく、ひもの結び目の位置や色で数を表すキープ(結縄)で、人口や穀物の量などを記録しました。

湖の島に築かれたアステカの都テノチティトラン。堤道とカヌーで湖岸と結ばれていました
文明・国地域時期特色
オルメカ文明メキシコ湾岸紀元前初期の文明。のちの文明に影響
マヤ文明ユカタン半島〜グアテマラ3世紀ごろから(8世紀ごろ最盛期)ピラミッド状の神殿、マヤ文字、暦
テオティワカンメキシコ高原前2世紀〜6世紀ごろ太陽と月のピラミッド
アステカ王国メキシコ高原14世紀〜1521年都テノチティトラン
インカ帝国アンデス山地15世紀に拡大〜1533年都クスコ。文字がなくキープで記録

ラテンアメリカ(2):スペイン・ポルトガルの征服と植民地社会

1492年、スペイン女王イサベルの援助を受けたコロンブスがカリブ海の島に着きました。彼はこの地をアジアの一部だと信じていました。1494年のトルデシリャス条約で、スペインとポルトガルは大西洋上の境界線の西をスペイン、東をポルトガルの範囲と決め、1500年にカブラルが到達したブラジルはポルトガル領となります。その後、「征服者(コンキスタドール)」と呼ばれる人々が大陸に乗りこみ、コルテスは1521年にアステカ王国を、ピサロは皇帝アタワルパを捕らえて1533年にインカ帝国を滅ぼしました。

スペインは征服地でエンコミエンダ制を行いました。先住民の保護とキリスト教化を条件に、植民者に先住民を治めて労働や貢ぎ物を課す権利をゆだねる制度ですが、実際には先住民は鉱山などで酷使されました。さらに、ヨーロッパから持ちこまれた天然痘などの感染症に免疫がなかったこともあり、先住民の人口は激減します。ドミニコ会の修道士ラス=カサスは、先住民への虐待を告発してこの制度を批判しました。

先住民に代わる労働力として、アフリカから黒人奴隷が運ばれ、ブラジルやカリブ海の島々では奴隷を使う砂糖のプランテーションが広がりました。スペイン領では17世紀ごろから、アシエンダと呼ばれる大農園で小作人や農業労働者が地主のもとで働くしくみが根づきます。1545年に現在のボリビアで発見されたポトシ銀山では、先住民を強制的に働かせて大量の銀が掘り出され、この銀がヨーロッパに流れこんで物価が大きく上がる価格革命の原因となりました。

植民地の社会では、白人が先住民(インディオ)・黒人・混血の人々を支配しました。同じ白人でも、本国生まれのペニンスラールと植民地生まれのクリオーリョは区別され、クリオーリョは大土地所有者や商人として力をつけながらも、役所や教会では不利な立場に置かれました。白人と先住民の混血はメスティーソ、白人と黒人の混血はムラートと呼ばれます。

ペニンスラールとクリオーリョの区別、支配される人々、先住民の激減から黒人奴隷、ポトシ銀山から価格革命への流れを示す図
スペイン領の植民地社会
用語内容
エンコミエンダ制先住民の保護とキリスト教化を条件に、植民者に支配をゆだねる
アシエンダ17世紀ごろから広がった大農園。独立後も大土地所有が続く
ポトシ銀山1545年に発見。先住民の強制労働で採掘
価格革命アメリカ大陸の銀の流入で、ヨーロッパの物価が上がる
クリオーリョ植民地生まれの白人。のちに独立運動の中心

ラテンアメリカ(3):独立運動とアメリカ合衆国の影響、20世紀の革命

最初に独立したのは、イスパニョーラ島西部のフランス領サン=ドマング、のちのハイチです。砂糖の生産に多くの黒人奴隷が働かされていたこの地では、フランス革命の影響を受けて1791年に奴隷の大反乱が起こりました。指導者トゥサン=ルーヴェルチュールはナポレオンが送った軍に捕らえられ、フランスで獄死しますが、戦いは続き、1804年にハイチはラテンアメリカ最初の独立国、世界最初の黒人の共和国となりました。

スペイン領で独立運動の中心となったのはクリオーリョです。本国の支配に不満をもつ彼らは、アメリカ合衆国の独立やフランス革命に刺激を受けていました。ナポレオン戦争のなかでナポレオンがスペイン本国を占領し、本国の支配がゆらぐと、各地で独立の動きが本格化します。北部ではベネズエラ出身のシモン=ボリバルが1819年に大コロンビアを建てて大統領となり、南部ではアルゼンチン生まれのサン=マルティンがアンデス山脈を越えてチリを解放し、1821年にペルーの独立を宣言しました。メキシコでは1810年に神父イダルゴが先住民やメスティーソを率いて蜂起し、戦いのすえ1821年に独立しました。

ブラジルは異なる道をたどりました。ナポレオンの軍に追われたポルトガル王室は1808年にブラジルへ移っており、国王が本国へ戻ったあとも残った王子が、1822年に独立を宣言してペドロ1世として皇帝に即位したのです。スペイン領が多くの共和国に分かれたのに対し、ブラジルは一つの帝国として独立し、1889年に共和政へ移りました。

神聖同盟を中心とするヨーロッパの干渉の動きに対し、イギリス外相カニングは市場を広げるねらいもあって独立を支持しました。アメリカ合衆国のモンロー大統領も1823年、アメリカ大陸とヨーロッパの相互不干渉を唱えるモンロー教書(モンロー宣言)を発表しています。ただし独立後も、アシエンダによる大土地所有はむしろ広がっていきました。

ハイチからブラジルまでの独立の順番と、その後のアメリカ合衆国の関わりを示した年表
ラテンアメリカの独立とその後

19世紀末からは、アメリカ合衆国が影響力を強めます。1889年、合衆国の呼びかけでワシントンに第1回パン=アメリカ会議が開かれました。1898年の米西戦争に勝った合衆国はプエルトリコを得て、独立したキューバには1901年のプラット条項(プラット修正)を受け入れさせ、事実上の保護国にしました。セオドア=ローズヴェルト大統領はカリブ海の国々への武力干渉をくり返し(カリブ海政策)、合衆国が建設したパナマ運河は1914年に開通しました。1930年代にはフランクリン=ローズヴェルト大統領が干渉を控える善隣外交に転じ、1934年にプラット条項も廃止されました。

メキシコでは、外国資本と大地主に支えられたディアスの独裁が30年以上続いていました。1910年、マデロが独裁打倒を呼びかけてメキシコ革命が始まり、翌年ディアスは国外へ逃れます。農地改革を求めるサパタやビリャらの農民勢力を巻きこんだ内戦ののち、1917年には土地や地下資源を国家のものと定め、労働者の権利を認めた憲法が制定されました。1930年代には、これをもとに農地改革や石油の国有化が進みます。

キューバでは、合衆国の支持を受けたバティスタの独裁政権をカストロらがゲリラ戦で倒しました(1959年、キューバ革命)。新政権は土地改革やアメリカ系企業の接収で合衆国と対立し、1961年に社会主義を宣言します。翌1962年には、ソ連のミサイル基地建設をめぐって米ソが激しく対立するキューバ危機が起こりました。

比べて覚える

アフリカの交易は、西と東で相手も品物も違います。「西アフリカ=サハラ縦断交易」「東アフリカ=インド洋交易」と区別し、王国・都市・文化をセットで言えるようにしましょう。

項目西アフリカ東アフリカ
交易サハラ縦断交易(ラクダの隊商)インド洋交易(海の交易)
主な品物サハラの岩塩と西アフリカの金内陸の金・象牙
王国・都市ガーナ・マリ・ソンガイ、トンブクトゥマリンディ・モンバサ・キルワ、モノモタパ王国
生まれた文化トンブクトゥのイスラーム文化と学問スワヒリ語・スワヒリ文化
転機1591年、ソンガイがモロッコ軍に敗れる15世紀末からポルトガルが進出

アメリカ大陸の2つの大国は、都や征服者を入れかえた選択肢がよく出ます。地域と都、征服者と年を対にして覚えるのが近道です。

項目アステカ王国インカ帝国
地域メキシコ高原アンデス山地
都テノチティトラン(テスココ湖の島)クスコ
征服者と年コルテス(1521年)ピサロ(1533年)
押さえる点跡地に現在のメキシコシティ文字がなく、キープで記録

独立の形は、誰が担ったかで性格が大きく変わります。ハイチ、スペイン領、ブラジルを並べると違いがはっきりします。

項目ハイチスペイン領ブラジル
本国フランススペインポルトガル
担い手黒人奴隷クリオーリョポルトガルの王子
独立の年1804年1810年代〜20年代1822年
独立後黒人の共和国多くの共和国に分かれる一つの帝国のまま独立

入試で狙われるポイント

正誤問題では、王国と交易品、人物と国、政策と国の組み合わせをずらした選択肢がよく出ます。左の列のような文を見たら、右の列の内容がすぐに浮かぶようにしておきましょう。

誤りやすい記述正しい内容
ガーナ王国は現在のガーナ共和国の位置にあった別の場所。現在のガーナは国名を受け継いだ
マンサ=ムーサはソンガイ王国の王であるマリ王国の王
ソンガイ王国はポルトガルに滅ぼされた1591年、モロッコ軍の攻撃で崩壊
ベルリン会議はイギリスの呼びかけで開かれたドイツのビスマルクの呼びかけ
ファショダ事件ではイギリスが譲歩したフランスが譲歩し、のちに英仏協商
アドワの戦いでエチオピアはイギリスを破った破った相手はイタリア
コルテスはインカ帝国を征服したコルテスはアステカ王国。インカ帝国はピサロ
スペイン領の独立運動の中心はメスティーソだった中心は植民地生まれの白人であるクリオーリョ
ブラジルはスペインから共和国として独立したポルトガルから、帝国として独立した

並べ替えでは、西アフリカの「ガーナ→マリ→ソンガイ」、征服の「コロンブス到達(1492年)→アステカ征服(1521年)→インカ征服(1533年)」、独立の「ハイチ→スペイン領→ブラジル→モンロー教書」を年と一緒に言えるようにしておくと効果的です。

論述で使える要点

論述では、変化の理由と結果を説明することが求められます。よく問われる2つのテーマの要点の例を示します。

例1「ラテンアメリカ諸国の独立」(150字程度):植民地では本国生まれの白人が役所の上位を占め、クリオーリョは不満を強めていた。合衆国の独立やフランス革命に刺激され、ナポレオンのスペイン占領で本国の支配がゆらぐと、ボリバルやサン=マルティンが独立戦争を進めた。ハイチは黒人奴隷の反乱で1804年に独立し、ブラジルは王子を皇帝として独立した。

例2「アフリカ分割」(150字程度):19世紀後半、列強は原料の供給地と市場を求めてアフリカの内陸に進出した。1884〜85年のベルリン会議で、通告と実効支配を条件とする分割の原則が定められ、競争は加速した。イギリスの縦断政策とフランスの横断政策は1898年のファショダ事件で衝突した。20世紀初めまでに、エチオピアとリベリアを除く全土が分割された。

テーマ入れるべき用語
西アフリカの王国サハラ縦断交易、岩塩と金、ムラービト朝、マンサ=ムーサ、トンブクトゥ
植民地社会エンコミエンダ制、先住民の激減、黒人奴隷、アシエンダ、ポトシ銀山
合衆国の影響モンロー教書、パン=アメリカ会議、米西戦争、プラット条項、善隣外交

確認問題

本文に出てきた王国・人物・用語を、一問一答で確かめましょう。答えはすべて本文の太字や表にある語句です。

地域別の縦断史 確認問題全15問
○ 0△ 0× 0残り 15
  1. 1前8世紀にエジプトへ進出し、のちにメロエへ都を移した王国は?
    4世紀にアクスム王国に滅ぼされた
  2. 24世紀にキリスト教を受け入れた、エチオピア高原北部の王国は?
    紅海やインド洋の交易で栄えた
  3. 31076年ごろにガーナ王国の都を攻め落としたモロッコの王朝は?
    ガーナ王国は塩と金の交易で栄えた
  4. 41324年からメッカへ巡礼し、カイロで大量の金を配ったマリ王国の王は?
    マリの金の豊かさが広く知られた
  5. 5ソンガイの時代にイスラーム文化と学問の中心となった、ニジェール川湾曲部の都市は?
    塩と金の交易の中継地として発展した
  6. 6東アフリカの港町で、バントゥー系の言葉にアラビア語が取り入れられて生まれた言語は?
    名前はアラビア語の「海岸」に由来する
  7. 7金や象牙をインド洋交易に送り出した、現在のジンバブエ周辺のショナ人の王国は?
    ジンバブエ遺跡との関係には諸説ある
  8. 81884〜85年のベルリン会議を呼びかけたドイツの政治家は?
    通告と実効支配の原則が決められた
  9. 91898年、イギリスの縦断政策とフランスの横断政策が衝突した事件は?
    フランスが譲歩した
  10. 101896年のアドワの戦いでイタリア軍を破ったエチオピアの皇帝は?
    エチオピアはリベリアとともに独立を保った
  11. 111957年にガーナの独立を指導した人物は?
    1960年はアフリカの年と呼ばれる
  12. 12先住民の保護とキリスト教化を条件に、植民者に先住民の支配をゆだねたスペインの制度は?
    ラス=カサスが批判した
  13. 131545年に発見され、大量の銀をヨーロッパへ送り出した銀山は?
    銀の流入は価格革命の原因となった
  14. 14スペイン領の独立運動で中心となった、植民地生まれの白人は?
    本国生まれの白人はペニンスラール
  15. 151823年にアメリカ大陸とヨーロッパの相互不干渉を唱えた、合衆国大統領の表明は?
    モンロー宣言とも呼ばれる
1 / 15
全15問おつかれさまでした×を付けた問題だけをもう一度解くと、記憶が定着しやすくなります。
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。
スペースキーで答えを表示/←→で移動

ほかの時代の用語も確かめたいときは、世界史一問一答で地域や時代を混ぜて解いてみてください。

世界史 アフリカ・ラテンアメリカ史の内容をまとめて復習できる解説つきの問題集(PDF・全19問)を用意しました。下のファイルをダウンロードして、印刷して使ってください。

テーマ史の勉強の進め方

2つの地域は、通史では大航海時代や帝国主義などの章に散らばって出てきます。通史を学んだあとで地域ごとに並べ直すと、「交易で栄えた王国→ヨーロッパの進出→植民地化→独立」という同じ型で2つの地域を説明できるようになります。

段階やること目安
1通史で、大航海時代・市民革命・帝国主義の章を学ぶ通史が一周したあと
2年表を地域ごとに読み、王国と独立の順番を声に出す1地域10分ほど
3「比べて覚える」の表を隠して、白紙に再現する書けなかった欄に印をつける
4論述の要点を見ずに、150字で因果をまとめる数日おいて繰り返す

通史とテーマ史をどの順番で進めればいいか、独学で間に合うかの判定方法は、世界史は独学で間に合う?で詳しく解説しています。論述の添削を頼める家庭教師やオンライン塾の選び方もまとめています。

関連するテーマ史・時代別の記事

2つの地域の歴史は、奴隷制や宗教、人の移動、国際会議のテーマと重なります。あわせて読むと理解が深まる記事です。

記事この記事とのつながり
世界史のテーマ史:地域別の縦断史(東アジア周辺・内陸アジア編)この記事の前編
世界史のテーマ史:奴隷制と人権の歴史奴隷貿易と奴隷制の廃止、ハイチ独立の意義
世界史のテーマ史:イスラーム史アフリカへのイスラーム教の広がり
世界史のテーマ史:民族移動・移民史ヨーロッパからアメリカ大陸への移住
世界史のテーマ史:条約・国際会議史ベルリン会議などの国際会議
世界史のテーマ史:国際機構・地域統合史アフリカ統一機構などの地域協力
世界史のテーマ史:感染症の歴史征服にともなう感染症と先住民の人口減少
イスラーム世界時代別の記事
ヨーロッパ史(2)時代別の記事
市民革命時代別の記事
第一次世界大戦時代別の記事
第二次世界大戦時代別の記事

ほかのテーマも、世界史のテーマ史の一覧でまとめて確認できます。

まとめ

アフリカでは、クシュ・アクスム、西アフリカの王国、東アフリカの港町が、ナイル川・サハラ・インド洋の交易で栄えました。ヨーロッパの支配は長く沿岸にとどまりましたが、19世紀末の分割で内陸まで及び、独立は第二次世界大戦後になりました。ラテンアメリカでは、アステカやインカが16世紀に征服され、19世紀前半に独立が進んだのち、合衆国の影響の中で20世紀の革命が起こりました。

地域流れ押さえる転換点
アフリカ古代王国→交易の王国と港町→沿岸の拠点→分割→独立ベルリン会議、ファショダ事件、エチオピアとリベリア、アフリカの年
ラテンアメリカマヤ・アステカ・インカ→征服→植民地社会→独立→合衆国の影響と革命コルテスとピサロ、クリオーリョ、ハイチ、モンロー教書、メキシコ革命

年表で時間のずれをつかみ、比較の表で交易・征服者・独立の担い手の組み合わせを確かめてください。論述の要点を自分の言葉で書ければ、手薄になりやすいこの分野も得点源に変わります。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント/Comment

コメントする

コメントは日本語を含めて入力してください。

CAPTCHA

目次(見たいところをクリックできます!)