交通・通信史は、人や物、情報がどのように運ばれてきたかを時代を通して追うテーマ史です。古代の駅制から江戸時代の五街道や廻船、明治の鉄道・郵便、戦後の新幹線まで、通史では別々に学んだ用語が一本の道でつながります。
入試では、駅制と伝馬の違い、馬借と問丸の役割、五街道の名前と宿駅の施設、東廻り航路と西廻り航路の区別などが、正誤問題の定番になっています。明治の電信・郵便・鉄道の順序や、鉄道国有法の背景もよく問われます。
この記事では、時代ごとのしくみを年表でつかんだあと、「だれのための交通か」「なぜ変わったのか」という視点で因果を整理します。似た用語は表で比べ、最後に確認問題で定着させましょう。

最後にこの記事の内容をまとめた確認プリントもあります!最後まで読み、プリントで復習してこの範囲を完璧にしましょう!
| この記事で分かること | 該当する節 |
|---|---|
| 古代から戦後までの交通・通信の流れ | まず全体像 |
| 各時代のしくみが生まれた理由と、その後への影響 | 時代ごとに詳しく見る |
| 菱垣廻船と樽廻船など、似た用語の違い | 比べて覚える |
| 正誤問題でまちがえやすい組み合わせ | 入試で狙われるポイント |
| 論述で使える要点と用語 | 論述で使える要点 |
まず全体像:交通・通信の流れを一枚でつかむ
日本の交通・通信は、大きく4つの段階に分けると整理しやすくなります。国家が都と地方を結ぶ古代の駅制、領主や商人が担った中世の交通、幕府が全国の街道と航路を整えた江戸時代、そして蒸気と電気の力を取り入れた近代以降です。
どの段階でも、「だれが、何のために運ぶのか」が変わると、道や乗り物のしくみも変わってきました。まずは下の年表の「ポイント」の列を読み、流れをつかんでください。


| 時代 | 年号 | できごと | ポイント |
|---|---|---|---|
| 飛鳥 | 701年 | 大宝律令 | 七道に駅家を置く駅制が整う |
| 鎌倉 | 12世紀末〜 | 鎌倉幕府の成立 | 京都と鎌倉を結ぶ東海道筋がにぎわう |
| 室町 | 15世紀 | 関所の乱立 | 関銭が流通の妨げになる |
| 安土桃山 | 16世紀後半 | 織田信長・豊臣秀吉の関所撤廃 | 物資が自由に流れる土台ができる |
| 江戸 | 1601年 | 東海道に伝馬制 | 宿駅に公用の馬を常備させる |
| 江戸 | 1659年 | 道中奉行を置く | 五街道を専門に管理する |
| 江戸 | 1671年 | 東廻り航路を整える | 河村瑞賢が江戸への直航路を開く |
| 江戸 | 1672年 | 西廻り航路を整える | 日本海側と大坂を下関経由で結ぶ |
| 明治 | 1869年 | 東京・横浜間に電信 | 近代の通信の始まり |
| 明治 | 1871年 | 官営の郵便が始まる | 前島密の建議による |
| 明治 | 1872年 | 新橋・横浜間に鉄道 | イギリス人技師の指導で建設 |
| 明治 | 1881年 | 日本鉄道会社の設立 | 日本最初の私鉄 |
| 明治 | 1906年 | 鉄道国有法 | 主要な私鉄を国が買い上げる |
| 大正 | 1925年 | ラジオ放送が始まる | 音声で情報を一斉に届ける |
| 昭和 | 1953年 | テレビ放送が始まる | 映像の時代へ |
| 昭和 | 1964年 | 東海道新幹線が開業 | 東京・新大阪間を高速で結ぶ |
時代ごとに詳しく見る
ここからは、時代ごとのしくみと、それが生まれた理由、次の時代に残したものを順に見ていきます。「公用のための交通」から「人々や商品のための交通」へ、という大きな変化を意識して読んでください。
古代:七道と駅制・伝馬
律令国家は、都のある畿内(五畿)から地方へのびる7つの道を定めました。東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の七道です。七道は地方を分ける区画の名前であると同時に、各地域を貫く交通路の名前でもありました。五畿は山城・大和・河内・和泉・摂津の5か国を指すので、七道とは区別して覚えましょう。
七道に沿った駅路には、原則として30里(約16km)ごとに駅家が置かれました。これが駅制です。駅家には駅馬が用意され、公用で旅をする役人は、資格の証明である駅鈴を示して馬を乗り継ぎ、食事や宿泊の提供を受けました。駅制は中央と地方の連絡のためのしくみで、庶民の旅のためのものではありません。10世紀初めの『延喜式』には、全国で402の駅が記されています。


| 項目 | 駅馬(駅制) | 伝馬 |
|---|---|---|
| 置かれた場所 | 七道の駅路の駅家(約16kmごと) | 各郡の郡家(郡ごとに5頭) |
| 主な使い方 | 急ぎの公用・連絡 | 国司の赴任など急がない公用 |
| 利用の証明 | 駅鈴 | 伝符 |
交通は税のしくみとも結びついていました。調や庸として納める布や特産物は、納める人自身が都まで運ぶのが原則で、この運搬にあたる人を運脚といいます。往復の食料は自分で用意しなければならず、帰り道で食料が尽きて倒れる者もいました。運脚の負担は、農民を苦しめる原因の一つになりました。
平安〜鎌倉時代:駅制の衰えと武士の時代の交通
律令制がゆるむと、駅家を支える負担に耐えられなくなり、駅制は平安時代を通じて衰えていきました。かわって平安時代の末ごろから、旅人が泊まり、人馬を継ぎ立てる「宿」が街道沿いに生まれます。
鎌倉幕府が開かれると、京都と鎌倉を結ぶ東海道筋が最も往来の盛んな道になり、多くの宿が並びました。幕府は鎌倉と京都の間に早馬を置いて連絡を急がせ、飛脚による通信も行われました。また、各地の御家人が鎌倉へ向かう道は、のちに鎌倉街道と総称されます。政治の中心が東国に生まれたことが、交通路の重心を動かしたのです。
室町〜戦国時代:関所の乱立と馬借・車借・問丸
中世には商品の流通が盛んになり、運送を仕事にする人々が現れました。代表的なのが、陸上で物を運ぶ馬借・車借と、港や都市で物資を扱う問丸です。
| 業者 | 仕事 | 主な拠点 |
|---|---|---|
| 馬借 | 馬の背に荷を載せて陸上で運ぶ | 大津・坂本・淀・木津など、港と京都・奈良を結ぶ要地 |
| 車借 | 牛に車を引かせて運ぶ | 道路の整った京都周辺(鳥羽・白河など) |
| 問丸 | 港や都市で年貢などの保管・輸送・中継取引を行う | 淀・木津などの港や都市 |
問丸は、はじめ荘園領主のもとで年貢の輸送や保管にあたっていましたが、しだいに一般の商品も扱う業者へと成長し、近世の問屋の源流になりました。馬借は人数が多く行動力があったため、室町時代にはしばしば土一揆の中心になりました。
一方で、この時代は関所が増えすぎた時代でもありました。中世の関所の多くは、軍事のためではなく、通る人や荷物から通行税である関銭を取るために置かれたものです。幕府や朝廷、寺社、公家などが財源を求めて交通の要所に次々と関所を設けたため、室町時代には物の流れが大きく妨げられました。
安土桃山時代:関所の撤廃と全国の交通路
戦国時代になると、戦国大名は軍需物資の輸送や家臣との連絡のため、領国の宿駅に伝馬を常備させました。駿河の今川氏、甲斐の武田氏、相模の後北条氏など、東国の大名はとくに早くからこのしくみを整えています。こうした宿駅と伝馬のしくみは、のちの江戸幕府にも受け継がれます。
関銭の負担は、商品の流れを滞らせます。そこで戦国大名の中には、国境の関所を残して領国内の関所を廃止する者が現れました。織田信長はこの方針を受け継ぎ、自分の分国の関所を撤廃して物資の流れを円滑にしました。ただし、信長の撤廃は分国に限られ、京都の関所などには及びませんでした。
信長のあとを継いだ豊臣秀吉は、全国統一を進めるなかで、関所の撤廃を全国に広げました。経済の目的で置かれた中世の関所は、こうして姿を消していきます。関所の役割が時代によって大きく変わることは、下の表で確かめておきましょう。
| 時代 | 関所を置いた目的 | 代表例 |
|---|---|---|
| 古代 | 軍事・治安 | 鈴鹿・不破・愛発の三関 |
| 中世 | 関銭を取る(財源) | 京都の出入口や淀川沿いの関 |
| 近世 | 江戸の防衛・治安 | 箱根・新居・碓氷・木曽福島 |
江戸時代(1):五街道と宿駅・関所
関ヶ原の戦いの翌年の1601年、徳川家康は東海道の宿駅に伝馬制を定め、各宿に公用の馬を常備させました。その後、江戸の日本橋を起点とする五街道が幕府の直轄となり、1659年からは道中奉行が宿駅の取り締まりや道路・橋の管理を専門に担いました。道中奉行は大目付が兼任し、のちに勘定奉行も兼ねて2人となりました。
| 五街道 | 覚え方のポイント |
|---|---|
| 東海道 | 太平洋側を通り京都へ。宿駅は53 |
| 中山道 | 内陸を通り、草津で東海道に合流する |
| 甲州道中 | 甲斐を通り、下諏訪で中山道に合流する |
| 日光道中 | 日光へ向かう |
| 奥州道中 | 宇都宮から白河へ向かう |
五街道の正式な呼び名では、東海道と中山道だけが「道」で、ほかの3つは「道中」です。街道には2〜3里ごとに宿駅が置かれ、参勤交代の大名や幕府の役人が使う公用の交通を支えました。


| 宿駅の施設・負担 | 内容 |
|---|---|
| 本陣 | 大名・公家・幕府の役人などが泊まる宿。1635年に参勤交代が制度化されると整備が進んだ |
| 脇本陣 | 本陣に入りきらないときに使う予備の宿 |
| 問屋場 | 人馬の継ぎ立てを取り仕切る宿駅の事務所 |
| 助郷 | 宿駅の人馬が足りないとき、周辺の村々に人馬を出させる負担 |
本陣は宿場の有力者が営み、その主人は名字を名のり刀を差すことを許されていました。
各宿に常備させる人馬は、東海道で100人・100疋、中山道で50人・50疋、甲州・日光・奥州の各道中で25人・25疋と定められていました。それでも交通量が増えると人馬が足りなくなり、助郷は臨時の負担から恒常的な負担へと変わりました。助郷は農村が疲弊する原因の一つとなり、反対する一揆も起きています。
街道の要所には関所が置かれ、とくに「入鉄砲に出女」が厳しく調べられました。江戸のある関東へ鉄砲が持ちこまれることと、江戸屋敷に住む大名の妻子が国元へ逃げ帰ることを防ぐためで、江戸の防衛と大名の統制という目的がありました。


江戸時代(2):海運と河川舟運
重い年貢米や商品を大量に運ぶには、陸路よりも船が向いていました。17世紀後半、江戸の商人河村瑞賢は幕府の命を受け、東北や日本海側の幕府の年貢米を江戸へ運ぶ航路を整えました。1671年の東廻り航路と、1672年の西廻り航路です。
| 航路 | 主なルート | それまでとの違い |
|---|---|---|
| 東廻り航路 | 東北の港から津軽海峡を経て太平洋を南下し、房総半島を回って江戸へ | 銚子から利根川の川船に積み替える方法から、江戸への直航へ |
| 西廻り航路 | 出羽の酒田から日本海を西へ進み、下関・瀬戸内海を経て大坂へ(さらに江戸へも回る) | 敦賀から琵琶湖を通る積み替えの多い経路にかわった |


瑞賢は出羽の年貢米を運ぶにあたり、江戸に近い東廻りよりも、航海の安全な西廻りを選びました。西廻り航路は風待ちの港に恵まれ、大坂の繁栄とともに大きく発展しました。西廻り航路では、江戸時代の中ごろから北前船が活躍しました。北前船は船主が自分で商品を買い入れて売る買積みの船で、北海道や東北の昆布・ニシンなどを大坂へ運び、上方の米・塩・酒などを北国へ運びました。
大坂と江戸を結ぶ航路では、菱垣廻船と樽廻船が行き来しました。菱垣廻船は、17世紀前半に堺の商人が大坂から江戸へ日用品を運んだことに始まるとされます。菱垣廻船は木綿・油・酒・しょうゆなどの日用品を江戸へ運んだ船で、江戸の十組問屋と大坂の二十四組問屋が結びついていました。1730年に酒問屋が十組問屋から独立すると、酒荷を専門に運ぶ樽廻船が独自に仕立てられるようになり、船足の速さを生かして、やがて菱垣廻船を圧倒しました。
河村瑞賢は治水にも力を入れ、淀川の流れを整えるために安治川を開いています。川の水運も各地で整えられ、京都の豪商角倉了以は、大堰川・富士川・高瀬川などの水路を開き、船による輸送を広げました。
江戸時代(3):飛脚と情報の伝わり方
江戸時代の通信を担ったのは飛脚です。幕府の公用文書は、宿駅の人足が次々に引き継いで運ぶ継飛脚で送られました。大名は国元と江戸屋敷を結ぶ大名飛脚を置きましたが、費用がかさむため、しだいに民間の飛脚に頼るようになります。
| 飛脚 | 運営した者 | 特徴 |
|---|---|---|
| 継飛脚 | 幕府 | 宿駅ごとに人足が交代して公用文書を運ぶ |
| 大名飛脚 | 諸大名 | 国元と江戸屋敷を結ぶ。尾張藩・紀伊藩の七里飛脚が有名 |
| 町飛脚 | 民間の商人 | 1663年に三都の商人が幕府の公認を受けて開業。三度飛脚など |
町飛脚は書状や金銭を運び、各地に飛脚問屋ができました。こうした飛脚の仕事は、明治に入ると官営の郵便に引き継がれていきます。
明治前期:電信・郵便・鉄道の始まり
明治政府は、近代国家をつくるうえで、情報と物資を速く確実に運ぶしくみが欠かせないと考えました。最初に開通したのは電信で、1869年に東京・横浜間で取り扱いが始まりました。同じ1869年には、江戸時代の関所もすべて廃止されています。政府はその後、電信網を全国に広げていきます。
1871年には、前島密の建議にもとづいて官営の郵便が始まりました。はじめは東京・京都・大阪の間で開かれ、全国に路線をのばし、1873年には距離に関係なく料金を同じにする全国均一料金が採用されました。「郵便」や「切手」という呼び名を定めたのも前島です。やがて郵便は政府の独占事業となり、飛脚の営業は廃止されました。1877年には万国郵便連合に加盟し、外国との郵便のやりとりも国際的なしくみに組みこまれました。
1872年には、新橋・横浜間に日本で最初の鉄道が開通しました。建設にあたっては、設計や測量をはじめ、イギリス人技師の指導を受けました。その後、1874年に大阪・神戸間、1877年に京都・大阪間が開通し、1889年には東海道線の新橋・神戸間が全通しました。


| 年 | できごと | ポイント |
|---|---|---|
| 1869年 | 東京・横浜間に電信 | 3つの中で最初 |
| 1871年 | 官営の郵便が始まる | 前島密。1873年に全国均一料金 |
| 1872年 | 新橋・横浜間に鉄道 | イギリス人技師の指導 |
| 1877年 | 万国郵便連合に加盟 | 国際郵便のしくみに入る |
| 1889年 | 東海道線が全通 | 新橋・神戸間 |
| 1890年 | 東京・横浜で電話の交換業務 | 一般向けの電話の始まり |
明治後期〜昭和戦前:鉄道国有化・海運・ラジオ
政府の財政には限りがあったため、鉄道の建設には民間の資金も使われました。1881年に設立された日本鉄道会社は、華族や士族の金禄公債を資本とする日本最初の私鉄で、1891年には上野・青森間を全通させました。上野・高崎間の路線は、群馬などの生糸を輸出港の横浜へ運ぶ役割も果たしました。その後、各地に私鉄が生まれ、日露戦争が終わった1905年ごろには、民営鉄道の営業距離は官営鉄道の約2倍に達していました。
しかし、日清・日露戦争で軍事輸送の重要さが明らかになり、ばらばらの鉄道を一つにまとめて輸送を統一することも求められました。そこで第1次西園寺公望内閣は1906年に鉄道国有法を制定し、主要な私鉄17社を買い上げました。これにより、鉄道の約9割が国有となりました。


海運では、郵便汽船三菱会社と共同運輸会社が激しい競争をくり広げた末、政府の仲介で1885年に合併し、日本郵船会社が生まれました。1896年には航海奨励法と造船奨励法が出され、遠洋航路を走る船や国内での造船に奨励金・補助金が与えられました。
通信の面では、1925年に東京放送局がラジオ放送を始めました。翌1926年には日本放送協会が設立され、ニュースや娯楽が音声で全国に届く時代が始まりました。
| 年 | できごと | 背景・結果 |
|---|---|---|
| 1881年 | 日本鉄道会社の設立 | 華族・士族の資金で鉄道を建設 |
| 1885年 | 日本郵船会社の設立 | 三菱と共同運輸の競争を政府が収める |
| 1896年 | 航海奨励法・造船奨励法 | 遠洋航路と国内の造船を保護する |
| 1906年 | 鉄道国有法 | 軍事輸送と輸送の統一のため、主要私鉄を国有化 |
| 1925年 | ラジオ放送の開始 | 翌年、日本放送協会が設立される |
戦後:テレビと高速交通の時代
戦後の1953年、NHKがテレビの本放送を始め、情報は音声だけでなく映像で届くようになりました。交通では、高度経済成長で東海道本線の輸送力が限界に近づいたため、新しい高速鉄道が計画されます。1959年に着工し、1964年、東京オリンピックの開催に間に合わせる形で、東京・新大阪間に東海道新幹線が開業しました。線路の幅には、在来線より広い国際標準の1,435mmが採用されました。
「東海道」という名前は、古代の七道から江戸時代の五街道、明治の東海道線、戦後の東海道新幹線まで受け継がれてきました。同じ名前をたどると、時代をまたいだ流れが覚えやすくなります。
比べて覚える
交通・通信史では、似た名前の用語を取り違えないことが大切です。まず、江戸時代の海運でよく問われる2組を比べます。「どこを通るか」「何を運ぶか」に注目してください。


| 項目 | 東廻り航路 | 西廻り航路 |
|---|---|---|
| 整えた人と年 | 河村瑞賢(1671年) | 河村瑞賢(1672年) |
| 通る海 | 津軽海峡から太平洋側 | 日本海側から下関・瀬戸内海 |
| 行き先 | 江戸 | 大坂(さらに江戸へ) |
| 活躍した船 | ― | 北前船 |
| 項目 | 菱垣廻船 | 樽廻船 |
|---|---|---|
| 結んだ区間 | 大坂から江戸 | 大坂・西宮から江戸 |
| 主な積荷 | 木綿・油・しょうゆなどの日用品 | 酒樽 |
| 名前の由来 | 船べりに菱形の垣をつけた | 酒樽をおもに運んだ |
| 特徴 | 十組問屋・二十四組問屋と結びつく | 船足が速く、菱垣廻船を圧倒した |
次に、古代の駅制と江戸時代の宿駅を比べます。どちらも公用の交通が優先された点は共通していますが、宿の間隔や管理のしかたが異なります。「伝馬」という言葉も、古代は郡に置かれた官の馬、近世は宿駅に常備させた公用の馬を指します。
| 項目 | 古代の駅制 | 江戸時代の宿駅 |
|---|---|---|
| 宿の間隔 | 原則30里(約16km)ごとに駅家 | 2〜3里ごとに宿駅 |
| 管理 | 国司のもとで駅長が運営 | 道中奉行(五街道) |
| 公用の利用の証明 | 駅鈴 | 朱印状や老中などの証文 |
| 人馬の補い方 | 駅戸から駅子を出す | 足りないときは助郷で周辺の村から出す |
入試で狙われるポイント
正誤問題では、人物と事業、用語と役割の組み合わせをずらした選択肢がよく出されます。左の列のような文を見たら、すぐに右の列の正しい内容を思い出せるようにしておきましょう。
| 誤りやすい記述 | 正しい内容 |
|---|---|
| 駅制は、庶民が旅をするために整えられた | 役人の公用の連絡のための制度 |
| 問丸は、馬の背に荷を載せて運ぶ業者である | それは馬借。問丸は港や都市で保管・中継を行う |
| 中世の関所は、おもに軍事のために置かれた | おもに関銭を取るために置かれた |
| 織田信長は、京都を含む全国の関所を撤廃した | 信長の撤廃は分国に限られ、全国に広げたのは豊臣秀吉 |
| 助郷は、大名が泊まる宿駅の施設である | それは本陣。助郷は周辺の村が人馬を出す負担 |
| 町飛脚は、幕府が運営した公用の飛脚である | 幕府の公用は継飛脚。町飛脚は民間の商人が営んだ |
| 西廻り航路は、太平洋側を通って江戸に至る | 日本海側から下関を回って大坂に至る |
| 明治の近代化は、鉄道→郵便→電信の順に始まった | 電信(1869年)→郵便(1871年)→鉄道(1872年)の順 |
| 鉄道国有法は、日露戦争の前に制定された | 日露戦争後の1906年、第1次西園寺公望内閣のとき |
人物の組み合わせでは、「河村瑞賢=東廻り・西廻り航路」「角倉了以=河川の水路」「前島密=郵便」の3つを確実に区別しておきましょう。
論述で使える要点
論述では、しくみの名前を並べるだけでなく、「なぜそのしくみが必要になったのか」「その結果どうなったのか」を一続きの文章で説明する力が問われます。よく問われる2つのテーマについて、要点の例を示します。
例1「中世の関所と織豊政権の政策」(120字程度):中世には幕府や寺社、公家などが財源を得るため各地に関所を設けて関銭を取り、室町時代には乱立して流通を妨げた。織田信長は分国の関所を撤廃し、豊臣秀吉は撤廃を全国に広げ、物資が円滑に流れる土台をつくった。
例2「鉄道国有法が制定された背景」(120字程度):日本鉄道会社をはじめ私鉄が発達し、1905年ごろには営業距離が官営の約2倍に達した。しかし日清・日露戦争で軍事輸送の重要さが示され、輸送の統一も求められたため、1906年に第1次西園寺公望内閣が鉄道国有法を制定し、主要私鉄を国有化した。
| テーマ | 入れるべき用語 |
|---|---|
| 古代の交通 | 七道、駅家、駅鈴、伝馬、運脚、公用 |
| 中世の流通 | 馬借、車借、問丸、関銭、関所の撤廃 |
| 江戸時代の交通 | 五街道、道中奉行、宿駅、本陣、問屋場、助郷、入鉄砲に出女 |
| 江戸時代の海運 | 河村瑞賢、東廻り航路、西廻り航路、北前船、菱垣廻船、樽廻船 |
| 近代の交通・通信 | 電信、前島密、郵便、万国郵便連合、日本鉄道会社、鉄道国有法 |
確認問題
ここまでの内容を、一問一答で確かめましょう。答えはすべてこの記事の中に出てきた用語です。答えを隠して、声に出して答えてから確認してください。
- 1律令制で、七道に沿って約16kmごとに置かれ、公用の役人に馬や食事を提供した施設は?駅家の馬を使うには駅鈴が必要だった
- 2公用で旅をする役人が、駅馬を使う資格の証明として示したものは?郡に置かれた伝馬の利用には伝符を使った
- 3調や庸を都まで運んだ人々を何という?往復の食料は自分で用意するのが原則だった
- 4中世に、馬の背に荷を載せて運んだ運送業者は?室町時代にはしばしば土一揆の中心になった
- 5中世に、港や都市で年貢などの保管・輸送・中継取引を行った業者は?近世の問屋の源流になった
- 6中世の関所で、通る人や荷物から取った通行税は?関所の乱立が流通を妨げた
- 7江戸幕府が1659年に置いた、五街道を専門に管理する役職は?大目付が兼任し、のちに勘定奉行も兼ねた
- 8宿駅で、大名・公家・幕府の役人などが泊まった宿は?予備の宿として脇本陣があった
- 9宿駅の人馬が足りないとき、周辺の村々に人馬を出させた負担は?農村が疲弊する原因の一つになった
- 101671年と1672年に、東廻り航路と西廻り航路を整えた江戸の商人は?幕府の年貢米を江戸へ運ぶためだった
- 11西廻り航路で活躍した、船主が自分で商品を買い入れて売る買積みの船は?昆布・ニシンなどを大坂へ運んだ
- 12酒樽をおもな積荷とし、船足の速さで菱垣廻船を圧倒した船は?大坂・西宮から江戸へ運んだ
- 131871年に始まった官営の郵便は、だれの建議にもとづく?1873年には全国均一料金が採用された
- 14日本が1877年に加盟した、郵便の国際的な組織は?外国との郵便が国際的なしくみに入った
- 151906年に制定され、主要な私鉄17社を国が買い上げた法律は?第1次西園寺公望内閣のときに制定された
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。
ほかの時代の用語も確かめたいときは、日本史一問一答で地域や時代を混ぜて解いてみてください。
日本史 交通・通信史の内容をまとめて復習できる解説つきの問題集(PDF・全19問)を用意しました。下のファイルをダウンロードして、印刷して使ってください。
テーマ史の勉強の進め方
交通・通信史は、通史をひととおり学んだあとに取り組むと効果が大きいテーマです。通史では、駅制は律令、関所の撤廃は織豊政権、鉄道は殖産興業というように、別々の単元で学びます。テーマ史として並べ直すと、「公用の交通から、商品と人々のための交通へ」という大きな流れが見えてきます。
| 段階 | やること | 目安 |
|---|---|---|
| 1 | 通史で各時代の交通・通信を一度学ぶ | 通史が一周したあと |
| 2 | この記事の年表を見ながら、流れを自分の言葉で説明する | 1回15分ほど |
| 3 | 比較の表を隠して、違いを書き出す | まちがえた所に印をつける |
| 4 | 確認問題と論述の要点で、用語と因果を確かめる | 数日おいて繰り返す |
交通は、税の運搬や商業・貨幣の発達と深く関わっています。関連するテーマ史とあわせて読むと、「なぜその時代に道や船が整えられたのか」がいっそう理解しやすくなります。
通史とテーマ史をどの順番で進めればいいか、独学で間に合うかの判定方法は、日本史は独学で間に合う?で詳しく解説しています。論述の添削を頼める家庭教師やオンライン塾の選び方もまとめています。
関連するテーマ史
交通・通信は、商業や産業、税、外交、地域の歴史と結びついています。あわせて読むと理解が深まるテーマ史を紹介します。
| テーマ史 | 交通・通信史とのつながり |
|---|---|
| 日本史のテーマ史:農業・産業史 | 商品の流通や、産業の発達と鉄道・海運の関係が分かる |
| 日本史のテーマ史:貨幣・金融史 | 商品流通と貨幣、大坂と江戸の経済のつながりが分かる |
| 日本史のテーマ史:税制史 | 調・庸の運脚や関銭など、税と交通の関わりが分かる |
| 日本史のテーマ史:欧米との外交史 | 開国後に鉄道・電信などの技術が入ってきた背景が分かる |
| 日本史のテーマ史:北海道・沖縄史 | 北前船が運んだ北海道の産物の背景が分かる |
ほかのテーマも、日本史のテーマ史の一覧でまとめて確認できます。
まとめ
日本の交通・通信は、国家の公用を支えた古代の駅制から始まり、商人や運送業者が担った中世、幕府が街道と航路を整えた江戸時代、そして電信・郵便・鉄道を取り入れた近代へと移り変わってきました。どの段階でも、運ぶ目的と担い手の変化が、新しいしくみを生んでいます。
| 段階 | 中心となるしくみ | 次の段階へ移った理由 |
|---|---|---|
| 古代 | 七道・駅制・伝馬 | 律令制がゆるみ、駅制を支えきれなくなった |
| 中世 | 宿、馬借・車借・問丸、関所 | 関所の乱立が流通を妨げ、織豊政権が撤廃した |
| 近世 | 五街道・宿駅、東廻り・西廻り航路、飛脚 | 近代国家には速く確実な輸送と通信が必要になった |
| 近代 | 電信・郵便・鉄道、鉄道国有化 | 戦後の高度経済成長で、輸送力の増強が必要になった |
| 戦後 | テレビ、東海道新幹線 | 高速交通と映像メディアの時代へ |
まずは年表の「ポイント」の列を覚え、次に比較の表で違いを確かめ、最後に論述の要点を自分の言葉で書いてみてください。道と船と通信の流れを説明できるようになれば、交通・通信史は得点源になります。














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