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Mino
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日本史 建築・美術史の流れ|仏像・書院造・障壁画・浮世絵を整理

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日本史 建築・美術史の流れ|仏像・書院造・障壁画・浮世絵を整理

建築・美術史は、日本史の文化史の中でも作品名が特に多い分野です。入試では「この作品はどの文化に属するか」「この技法はどの時代のものか」という組み合わせが、正誤問題でくり返し問われます。

作品名をばらばらに覚えるより、様式が生まれた理由をつかむほうが記憶に残ります。日本の建築と美術は、大陸の文化を取り入れる時期と、それを日本風に作りかえる時期をくり返しながら、宋や禅宗の影響、武士や町人の好み、そして西洋の影響を受けて変わってきました。

この記事では建築・彫刻・絵画に絞り、飛鳥文化から戦後の文化財保護法までを整理します。文学・芸能・工芸や仏教の教えの中身は扱いません。

最後にこの記事の内容をまとめた確認プリントもあります!最後まで読み、プリントで復習してこの範囲を完璧にしましょう!

この記事で分かること該当する節
飛鳥文化から近代までの様式の流れまず全体像
各時代の代表作と、様式が変わった理由時代ごとに詳しく見る
仏像の技法や住宅の様式の違い比べて覚える
作品と時代の、まちがえやすい組み合わせ入試で狙われるポイント
論述で使える要点と用語論述で使える要点
目次(見たいところをクリックできます!)

まず全体像:建築と美術の流れを一枚でつかむ

日本の建築・美術の流れは、影響を与えた相手や担い手によって、次の5つの段階に分けると整理しやすくなります。

飛鳥・奈良から明治以降まで、建築・美術の流れを大陸文化の受容から西洋との出会いまでの5段階で示した図
建築・美術の5つの段階
段階主な時期影響・担い手キーワード
大陸文化の受容飛鳥〜奈良中国(南北朝・唐)、朝鮮半島寺院、金銅像、塑像・乾漆像
日本風への転換平安密教、浄土教、貴族一木造、寄木造、寝殿造、大和絵
宋と禅宗の影響鎌倉〜室町武士、禅僧大仏様・禅宗様、水墨画、書院造
武家と町人の美術桃山〜江戸天下人、幕府、町人天守、障壁画、琳派、浮世絵
西洋との出会い明治以降お雇い外国人、美術学校洋画、洋風建築、日本画の革新

次の年表では、年号より「ポイント」の列で各時代の特徴をつかんでください。

時代年号できごとポイント
飛鳥607年法隆寺が完成したと伝わる現在の西院伽藍は670年の焼失後の再建とする説が有力
飛鳥623年法隆寺金堂釈迦三尊像光背の銘による年。作者は鞍作鳥
奈良752年東大寺大仏の開眼供養国家が進めた仏教の象徴
奈良759年鑑真が唐招提寺を開く金堂は奈良時代の建築
平安1053年平等院鳳凰堂本尊は定朝の寄木造の阿弥陀如来像
平安1124年中尊寺金色堂奥州藤原氏の阿弥陀堂
鎌倉1203年東大寺南大門金剛力士像運慶・快慶の合作
室町1397年足利義満が北山殿の造営を始める金閣はその中の建物
室町1489年足利義政の東山山荘で観音殿(銀閣)が上棟書院造への移り変わり
安土桃山1576年織田信長が安土城の築城を始める本格的な天守をもつ近世の城
江戸1636年日光東照宮の大造替が完成権現造の代表
江戸1765年錦絵(多色摺の浮世絵)が生まれる鈴木春信が中心
明治1887年東京美術学校の設立(1889年開校)フェノロサ・岡倉天心が尽力
明治1907年文部省美術展覧会(文展)が始まる最初の官設の展覧会
大正1914年東京駅が完成辰野金吾の設計
昭和1949年法隆寺金堂の火災で壁画が焼損文化財保護法のきっかけ
昭和1950年文化財保護法それまでの保存の法律をまとめる

時代ごとに詳しく見る

ここからは時代ごとに、建築・彫刻・絵画の代表作と、その様式が生まれた理由を見ていきます。代表作は数点に絞っているので、まずはそれを確実に覚えましょう。

飛鳥・白鳳文化:最初の寺院と仏像

7世紀前半の飛鳥文化は、朝鮮半島を経由して伝わった中国の南北朝時代の文化を土台にしています。その代表が法隆寺です。607年に完成したと伝えられますが、『日本書紀』に670年の全焼の記事があり、再建か否かをめぐって論争が続きました。1939年の若草伽藍跡の発掘などにより、現在の西院伽藍は焼失後の再建とする説が有力です。それでも現存する世界最古の木造建築群です。

金堂の釈迦三尊像は、光背の銘によれば623年に鞍作鳥(止利仏師)が造ったもので、銅に金めっきをした金銅像です。中国の北魏の様式を受けた作風で、止利様式と呼ばれます。一方、中宮寺の半跏思惟像は木で造られた像で、広隆寺の半跏思惟像とともに飛鳥文化の代表作に数えられます。法隆寺の玉虫厨子も、この時期の建築の姿を知る手がかりになります。

7世紀後半から8世紀初めの白鳳文化では、遣唐使を通じて初唐の文化が直接入り、清新な表現が広がりました。薬師寺の金堂薬師三尊像(金銅像)、もと山田寺の本尊だった興福寺仏頭、法隆寺金堂壁画、高松塚古墳壁画が代表です。三重の各層に裳階をつけた薬師寺東塔も白鳳文化の代表とされますが、建てられた年については諸説あります。

項目飛鳥文化白鳳文化
時期7世紀前半7世紀後半〜8世紀初め
影響中国の南北朝(北魏など)、朝鮮半島初唐
建築法隆寺(西院伽藍は再建説が有力)薬師寺東塔
彫刻法隆寺金堂釈迦三尊像、中宮寺半跏思惟像薬師寺金堂薬師三尊像、興福寺仏頭
絵画など玉虫厨子法隆寺金堂壁画、高松塚古墳壁画

天平文化:国家仏教と東大寺・唐招提寺

8世紀の天平文化は、遣唐使がもたらした盛唐の文化の影響を強く受けた、国際色の豊かな文化です。仏教によって国家を守ろうとする鎮護国家の考えのもと、国分寺や東大寺が建てられました。東大寺の大仏は、752年にインドの僧菩提僊那を開眼の導師として、盛大な開眼供養が行われました。

この時代の彫刻では、木や金銅の像に加えて、粘土で形を作る塑像と、漆で麻布を何重にも固めて形を作る乾漆像が盛んに作られました。

作品所在技法
不空羂索観音像東大寺法華堂(三月堂)乾漆像
日光菩薩像・月光菩薩像東大寺法華堂塑像
執金剛神像東大寺法華堂塑像
四天王像東大寺戒壇院塑像
阿修羅像(八部衆像の一つ)興福寺乾漆像
鑑真和上像唐招提寺奈良時代の肖像彫刻の代表作

建築では、唐の僧鑑真が759年に開いた唐招提寺の金堂が、奈良時代の建築を今に伝えます。同じ寺の講堂は、平城宮の朝集殿を移したものです。東大寺の正倉院宝庫は、三角形の木材を井桁に組んで壁にした校倉造の倉(北倉・南倉)として知られ、聖武天皇ゆかりの宝物が納められました。

足場を組み、巨大な柱を立てていく。天平の寺院は、国家の力を集めた大工事で建てられました

塑像や乾漆像は奈良時代に盛んに作られましたが、平安時代に入ると、木を彫って造る像が主流になっていきます。

弘仁・貞観文化:密教美術と一木造

9世紀の弘仁・貞観文化では、最澄と空海が伝えた天台・真言の密教が栄え、神秘的で重々しい美術が生まれました。彫刻では、1本の木から頭と体の中心部を彫り出す一木造が主流となり、衣のひだを大きなひだと小さなひだの交互のくり返しで表す翻波式の彫り方が用いられました。

絵画では、密教の仏の世界を、仏や菩薩を決まった形に並べて表した曼荼羅が発達しました。空海が唐から持ち帰った両界曼荼羅がその基本で、神護寺の両界曼荼羅(高雄曼荼羅)は現存最古のものとされます。建築では、山の斜面に合わせて堂を配置した室生寺が知られ、その金堂は平安時代初期の山寺の仏堂を伝えています。

分野代表作ポイント
彫刻神護寺薬師如来像一木造
彫刻観心寺如意輪観音像密教の仏像の代表
彫刻室生寺金堂の釈迦如来像一木造・翻波式の衣文
絵画神護寺両界曼荼羅、園城寺の黄不動密教の仏画
建築室生寺金堂山の地形を生かした伽藍

国風文化〜院政期:寝殿造・寄木造と浄土教の美術、絵巻物

10世紀以降、遣唐使の停止などで唐の文化の影響が弱まると、それまでに取り入れた唐風の文化をもとに、日本風の文化が育ちました。貴族の住宅としては寝殿造が完成します。中央の寝殿の東・西・北に対屋を置いて渡殿でつなぎ、寝殿の南には白砂の庭と池を設けました。

この時代の美術を大きく変えたのは、末法思想と結びついた浄土教の流行です。藤原頼通は、末法の初年とされた1052年に宇治の別荘を寺に改めて平等院とし、翌1053年に阿弥陀堂(鳳凰堂)を建てました。本尊の阿弥陀如来像は仏師定朝の作で、穏やかで優美な表情は定朝様と呼ばれ、日本風の仏像様式の完成とされます。

定朝が完成させた寄木造は、複数の木材を組み合わせて1体の像を造る技法です。内部を大きくくりぬけるので像が軽くなり、乾燥による割れも防げます。さらに、何人もの仏師で作業を分担できるので、貴族からの大量の注文に応えることができました。

金銅像・塑像と乾漆像・一木造・寄木造の順に、仏像の技法と時代、代表作を示した図
仏像の技法の移り変わり

絵画では、中国風の題材の唐絵に対して、日本の風景や風俗を描く大和絵が生まれました。阿弥陀仏が臨終の人を迎えに来るようすを描いた来迎図も盛んになり、高野山の聖衆来迎図が代表作です。

11世紀末からの院政期には、物語や説話、事件を長い巻物に描いた絵巻物が発達しました。

絵巻物描かれた内容特徴
源氏物語絵巻『源氏物語』の場面12世紀前半。屋根を取り払って室内を描く吹抜屋台、引目鉤鼻の人物
伴大納言絵巻866年の応天門の変大納言伴善男の陰謀と失脚を描く
信貴山縁起絵巻信貴山の僧命蓮にまつわる説話命蓮の法力をめぐる3つの話を3巻に描く
鳥獣戯画猿・兎・蛙などを人に見立てた場面(甲巻)京都の高山寺に伝わる墨の絵。鳥羽僧正の作という伝えには確証がない

浄土教は都の貴族だけでなく、地方の有力者にも広がりました。奥州藤原氏の藤原清衡は1124年に中尊寺金色堂を建て、のちに清衡・基衡・秀衡がここに葬られました。1160年には、秀衡の妹とされる徳尼が白水阿弥陀堂(福島県いわき市)を建てています。富貴寺大堂(大分県)も平安時代後期の阿弥陀堂で、九州最古の木造建築です。

鎌倉文化:大仏様・禅宗様と運慶・快慶

1180年、平重衡の軍勢による焼き討ちで東大寺と興福寺が焼けました。東大寺の再建を任された僧重源は、宋の技術者陳和卿の協力を得て、宋の建築様式を取り入れた大仏様(天竺様)で建物を再建しました。貫や太い梁を多く使う豪快な様式で、東大寺南大門が代表です。ただし大仏様は、重源にかかわる建物以外にはあまり広まりませんでした。

禅宗寺院とともに伝わった宋の様式は禅宗様(唐様)と呼ばれ、細い部材を使い、屋根の傾斜が急で軒の反りが強いのが特徴です。代表例とされる円覚寺舎利殿は、建物そのものは室町時代初期のものと考えられています。これに対して、奈良時代に伝わり平安時代に日本風に発達した伝統の様式を和様といい、1266年に再建された蓮華王院本堂(三十三間堂)が代表です。鎌倉時代末ごろからは、和様を基本に大仏様・禅宗様を取り入れた折衷様も生まれました。

大仏様・禅宗様・和様・折衷様の由来と特徴、代表例を比べた図
中世の寺院建築の4つの様式
様式由来特徴代表例
大仏様(天竺様)重源が宋の様式を導入太い材を使う豪快な構造東大寺南大門
禅宗様(唐様)禅宗とともに宋から伝わる細い部材、急な屋根の傾斜と強い軒の反り円覚寺舎利殿
和様奈良時代に伝わり、平安時代に日本化日本の伝統的な様式蓮華王院本堂
折衷様和様に大仏様・禅宗様を取り入れる鎌倉時代末〜室町時代観心寺金堂

彫刻では、奈良を拠点とする慶派の仏師が東大寺・興福寺の復興で活躍し、1203年には運慶と快慶の合作で東大寺南大門の金剛力士像が完成しました。運慶の写実的で力強い作風は武士の好みに合い、興福寺北円堂の無著像・世親像もその代表作です。快慶は、穏やかで整った安阿弥様と呼ばれる作風で知られ、東大寺の僧形八幡神像を残しました。

いくつもの木材を組み合わせ、仏師たちが分担して大きな像を彫り進める。慶派の工房では、こうして力強い像が生まれました

絵画でも写実の傾向が強まり、藤原隆信・信実父子が人物の顔を写実的に描く似絵を大成しました。禅宗では、師が教えを伝えた証として自分の肖像画(頂相)を弟子に与えました。絵巻物では、1299年に円伊が描いた一遍上人絵伝や、肥後国の御家人竹崎季長が自分の戦いぶりを描かせた蒙古襲来絵詞が知られます。

室町文化:金閣・銀閣と書院造・水墨画

3代将軍足利義満の時代の北山文化は、伝統的な公家文化と武家文化が融け合い、そこに禅宗の文化が加わったものです。義満は1397年、公家の西園寺家の山荘を譲り受けて北山殿の造営を始めました。その中の舎利殿が金閣で、下の層は住宅風、最上層は禅宗様の仏殿風という組み合わせになっています。義満の死後、北山殿は寺(鹿苑寺)となりました。金閣は1950年に放火で焼失し、1955年に再建されています。

8代将軍足利義政の時代の東山文化では、簡素で落ち着いた美しさが好まれました。義政は1482年に東山山荘の造営を始め、1489年に観音殿(銀閣)が上棟されました。銀閣も下層が住宅風、上層が禅宗様です。同じ山荘の東求堂にある同仁斎は、四畳半に付書院と違い棚を備え、書院造の最古の遺構とされます。

書院造は、床(床の間)・違い棚・付書院を備え、畳を敷きつめ、角柱と襖・障子で部屋を仕切る住宅様式です。桃山時代に完成し、近世の武家の住宅や、のちの民家の座敷にも取り入れられていきました。

寝殿造から書院造、茶室を経て数寄屋造へと移る住宅建築の流れを示した図
住宅建築の移り変わり

絵画では、鎌倉時代に禅僧が伝えた水墨画が発達しました。相国寺の画僧如拙は足利義持の命で瓢鮎図を描き、同じ相国寺の周文が幕府の御用絵師として続きました。周防の大内氏の保護を受けた雪舟は、1467年に明へ渡って中国の絵画を学び、1469年に帰国したのち、日本的な水墨画を完成させました。山水長巻・秋冬山水図・天橋立図が代表作です。

画家・流派立場代表作・ポイント
如拙相国寺の画僧瓢鮎図(足利義持の命)
周文相国寺の画僧、幕府の御用絵師如拙に学んだとされる
雪舟大内氏の保護を受けた画僧明で学び日本的な水墨画を完成。秋冬山水図・天橋立図
狩野正信・元信狩野派の祖とその子漢画(中国風の絵)に大和絵の技法を取り入れ、狩野派の基礎を築く

庭園では、水を使わずに石と砂で山や水の流れを表す枯山水が、禅宗寺院を中心に作られました。竜安寺の石庭や大徳寺大仙院の庭園が代表です。狩野派は元信の代に工房を整え、大量の障壁画を共同で描けるようになりました。

桃山文化:城郭と障壁画・茶室

天下統一を進めた織田信長と豊臣秀吉の時代には、軍事の拠点であるとともに、城主の権威を示す城郭が建てられました。信長が1576年に築き始めた安土城は、5層7階の天守を備えた本格的な近世の城の最初とされます。1582年の本能寺の変ののちに焼失しました。現存する姫路城は、1600年に入った池田輝政が大改修して現在の規模にしたもので、5重の大天守と3つの小天守を渡櫓で結んでいます。

城や邸宅の書院造の座敷は、襖や壁、屛風に描いた障壁画で飾られました。金箔の地に濃い色を塗る濃絵(金碧画)が、その典型です。

項目狩野永徳長谷川等伯
立場狩野派。信長・秀吉に仕える雪舟や中国の水墨画に学ぶ
仕事安土城・大坂城・聚楽第の障壁画智積院の障壁画(金碧画)
代表作唐獅子図屛風、洛中洛外図屛風(上杉家)松林図屛風(水墨画)、智積院の楓図
作風豪快な大画面の金碧画金碧画と水墨画の両方で独自の画風

永徳の障壁画の多くは建物とともに失われました。一方で、金碧画とは対照的な美意識も育ちます。千利休が造ったと伝わる妙喜庵の茶室待庵は、わずか二畳の空間で、現存最古の茶室とされます。土壁や丸太の柱を使う茶室の手法は、江戸時代の数寄屋造へ受け継がれました。

江戸時代前期:権現造・数寄屋造と琳派

江戸幕府は、その権威を建築でも示しました。徳川家康をまつる日光東照宮は1617年に創建され、3代将軍家光が1634年から大規模な造替を行い、1636年にほぼ現在の社殿が完成しました。本殿と拝殿を石の間でつなぐ権現造の代表で、陽明門もよく知られています。東照宮の建設以後、権現造の霊廟建築が各地に広まりました。

これと対照的なのが、八条宮智仁親王が江戸時代初めに造営を始め、子の智忠親王が増築した桂離宮です。茶室の手法を書院造に取り入れた数寄屋造の代表で、自然の素材を生かした簡素な美しさが特徴です。絵画では、狩野探幽が1617年に幕府の御用絵師となり、余白を生かした軽やかな画風で、江戸の狩野派の基礎を固めました。

江戸時代初めの俵屋宗達は、大和絵の伝統を大胆に作りかえた装飾的な画風を生み出し、風神雷神図屛風(建仁寺)を描きました。元禄期を中心に活躍した尾形光琳は、宗達の作品に学んでこの画風を発展させ、燕子花図屛風や紅白梅図屛風を残しました。この流れは琳派と呼ばれ、のちに酒井抱一へ受け継がれます。

17世紀後半には、江戸で菱川師宣が版画による浮世絵を広め、浮世絵の祖とされました。ただし代表作の見返り美人図は、版画ではなく筆で直接描いた肉筆画です。

江戸時代後期:浮世絵(錦絵)と文人画・写生画

1765年、江戸の趣味人の間で絵暦の交換会が流行したのをきっかけに、鈴木春信を中心に、彫師・摺師が協力して多色摺の木版画が生まれました。錦のように美しいことから錦絵と呼ばれ、浮世絵の表現は大きく広がりました。

18世紀末の寛政期には、喜多川歌麿が女性の上半身を大きく描く美人画の大首絵で人気を集めました。東洲斎写楽は、1794年からわずか10か月ほどの間に、役者の個性を誇張した役者絵を140点あまり残しています。19世紀前半には風景画が新しい分野となり、葛飾北斎の富嶽三十六景や、歌川広重の東海道五十三次が評判になりました。北斎の作品は、のちにヨーロッパの画家にも影響を与えています。

菱川師宣から鈴木春信の錦絵、歌麿・写楽、北斎・広重へと続く浮世絵の流れを示した図
浮世絵の流れ
絵師時期分野代表作・ポイント
鈴木春信1765年〜美人画錦絵の誕生に中心的な役割
喜多川歌麿寛政期美人画大首絵を美人画に取り入れる
東洲斎写楽1794〜95年役者絵約10か月だけ活動した謎の絵師
葛飾北斎19世紀前半風景画富嶽三十六景
歌川広重19世紀前半風景画東海道五十三次
色ごとに版木を替えて、何度も重ねて摺る。錦絵の鮮やかな色は、職人の手仕事から生まれました

浮世絵以外の絵画も多様になりました。18世紀後半には、中国の文人画(南画)に学んだ池大雅と与謝蕪村が文人画を大成し、合作の十便十宜図を残しました。京都の円山応挙は、西洋の遠近法や陰影法、中国の写生画を学び、写生を重んじる新しい画風を開きました。司馬江漢は平賀源内の影響で洋風画に進み、1783年に日本で最初の腐食銅版画(エッチング)を作りました。

近代:伝統美術の見直しと洋画・洋風建築

明治政府は1876年に工部美術学校を開き、イタリアから画家フォンタネージや彫刻家ラグーザを招きました。幕末から洋画を学んだ高橋由一は、鮭で知られる日本最初の本格的な洋画家です。

しかし明治10年代になると、急な欧化への反省から、伝統美術を見直す動きが強まりました。1878年に来日したアメリカ人フェノロサは日本美術を高く評価し、狩野芳崖や橋本雅邦を支援しました。芳崖は伝統の技法に西洋の色彩や空間表現を取り入れ、悲母観音を描いています。フェノロサと岡倉天心の尽力で、1887年に東京美術学校が設立され、1889年に開校しました。天心は1898年に校長を辞めると、橋本雅邦・横山大観・菱田春草らと日本美術院を結成し、新しい日本画をめざしました。

洋画家たちは、1889年に日本最初の洋画団体である明治美術会を結成しました。フランスで学んだ黒田清輝は、1893年に帰国して明るい外光派の画風を伝え、1896年に白馬会を結成するとともに、同年新設された東京美術学校の西洋画科で指導にあたりました。1907年には、最初の官設の展覧会である文部省美術展覧会(文展)が始まりました。

彫刻では、高村光雲が伝統の木彫に写実を加えて老猿を制作し、ロダンの作品に感動して彫刻家となった荻原守衛が女を残しました。建築では、1877年に来日したイギリス人コンドルが工部大学校で建築家を育て、鹿鳴館やニコライ堂を手がけました。その教え子の辰野金吾は、日本銀行本店(1896年)や東京駅(1914年)を設計しています。

戦後の1949年、法隆寺金堂で火災が起き、壁画が焼損しました。これをきっかけに、1950年に文化財保護法が制定されました。この法律は、1929年の国宝保存法などそれまでの法律をまとめ、新たに無形文化財や埋蔵文化財も保護の対象に加えました。

比べて覚える

建築・美術史では、技法や様式を時代順に並べて比べると、作品の時代を判断しやすくなります。まずは仏像の技法の移り変わりです。それぞれの技法が主に使われた時代と、代表作をセットで押さえましょう。

技法主な時代造り方代表作
金銅像飛鳥・白鳳銅で鋳造し金めっきをする法隆寺金堂釈迦三尊像、薬師寺金堂薬師三尊像
塑像天平粘土で形を作る東大寺法華堂の日光・月光菩薩像
乾漆像天平漆で麻布を固めて形を作る東大寺法華堂不空羂索観音像、興福寺阿修羅像
一木造弘仁・貞観1本の木から頭と体の中心部を彫る神護寺薬師如来像
寄木造国風文化以降複数の木材を組み合わせる平等院鳳凰堂阿弥陀如来像

次に住宅建築です。寝殿造から書院造へ、さらに茶室の要素を加えた数寄屋造へという流れは、住む人の好みの変化をよく表しています。

項目寝殿造書院造数寄屋造
時代平安時代室町時代に始まり桃山時代に完成桃山〜江戸時代
担い手貴族将軍・武家公家・武家など
特徴寝殿と対屋を渡殿で結ぶ。庭に池床・違い棚・付書院、畳を敷きつめる茶室の手法を取り入れ、自然の素材を生かす
代表例―東求堂同仁斎桂離宮

金閣と銀閣も、正誤問題で取り違えやすい組み合わせです。

項目金閣銀閣
建てた人足利義満足利義政
文化北山文化東山文化
年1397年に北山殿の造営開始1489年に上棟
寺の名鹿苑寺慈照寺
構成3層。下層は住宅風、最上層は禅宗様2層。下層は住宅風、上層は禅宗様

入試で狙われるポイント

正誤問題では、作品と時代、作品と作者、技法と時代の組み合わせをずらした選択肢がよく出ます。左の列のような文を見たら、すぐに右の列を思い出せるようにしておきましょう。

誤りやすい記述正しい内容
法隆寺金堂釈迦三尊像は、天平文化の乾漆像である飛鳥文化の金銅像。623年、鞍作鳥の作
東大寺法華堂の日光・月光菩薩像は乾漆像である塑像。法華堂の不空羂索観音像が乾漆像
寄木造は弘仁・貞観文化の代表的な技法である弘仁・貞観文化は一木造。寄木造は定朝が完成
中尊寺金色堂は藤原頼通が建てた藤原清衡が建てた。頼通は平等院鳳凰堂
東大寺南大門は禅宗様で建てられた大仏様。禅宗様の代表例は円覚寺舎利殿
雪舟は宋に渡って水墨画を学んだ明に渡った(1467年)
長谷川等伯の松林図屛風は濃絵である水墨画。濃絵の代表は狩野永徳の唐獅子図屛風
見返り美人図は錦絵である菱川師宣の肉筆画。錦絵は1765年に生まれた
東京美術学校は、最初から西洋画を中心に教えた伝統美術の復興の流れで設立。西洋画科は1896年に新設

作品の時代を問う問題に備えて、時代と分野で整理した一覧も確認しておきましょう。それぞれの欄の作品を、説明を見ずに言えるかどうか試してください。

文化建築彫刻絵画
飛鳥法隆寺法隆寺金堂釈迦三尊像玉虫厨子
白鳳薬師寺東塔興福寺仏頭高松塚古墳壁画
天平唐招提寺金堂、正倉院宝庫東大寺法華堂の諸像、興福寺阿修羅像―
弘仁・貞観室生寺金堂観心寺如意輪観音像神護寺両界曼荼羅
国風・院政期平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂平等院鳳凰堂阿弥陀如来像源氏物語絵巻、鳥獣戯画
鎌倉東大寺南大門東大寺南大門金剛力士像似絵、一遍上人絵伝
室町金閣、銀閣、東求堂同仁斎―雪舟の水墨画
桃山姫路城、妙喜庵待庵―唐獅子図屛風、松林図屛風
江戸日光東照宮、桂離宮―風神雷神図屛風、富嶽三十六景

論述で使える要点

論述では、信仰や社会の変化がどんな様式や技法を生んだかを説明する力が問われます。2つのテーマについて要点の例を示します。

例1「平安時代中期に寄木造が広まった理由」(120字程度):末法思想を背景に浄土教が流行し、貴族は阿弥陀堂や阿弥陀如来像を盛んに造らせた。定朝が完成させた寄木造は、複数の木材を組み合わせるので作業を分担でき、像を軽く割れにくくすることもできた。そのため大量の注文に応えられ、広まった。

例2「明治時代の美術の動き」(150字程度):明治初めの政府は工部美術学校を開いて西洋美術を取り入れたが、明治10年代には伝統美術を見直す動きが強まった。フェノロサと岡倉天心の尽力で東京美術学校が設立され、天心はのちに日本美術院を結成した。一方、黒田清輝は外光派の画風を伝えて白馬会を結成し、洋画の発展を導いた。

テーマ入れるべき用語
古代の仏教美術の変化北魏様式、初唐・盛唐、塑像・乾漆像、密教、一木造
浄土教と美術末法思想、阿弥陀堂、定朝、寄木造、来迎図、中尊寺金色堂
中世の建築と絵画重源、大仏様、禅宗様、書院造、水墨画、雪舟
近代の美術工部美術学校、フェノロサ、岡倉天心、東京美術学校、日本美術院、黒田清輝

確認問題

ここまでの内容を一問一答で確かめましょう。答えはすべてこの記事の中に出てきた用語です。答えを隠して、声に出して答えてから確認してください。

建築・美術史 確認問題全13問
○ 0△ 0× 0残り 13
  1. 1光背の銘によれば623年に鞍作鳥が造った、法隆寺金堂の本尊は?
    北魏の様式を受けた金銅像で、止利様式と呼ばれる
  2. 2東大寺法華堂の日光・月光菩薩像に用いられた、粘土で形を作る技法は?
    同じ法華堂の不空羂索観音像は乾漆像
  3. 3759年に唐招提寺を開いた唐の僧は?
    唐招提寺の金堂は奈良時代の建築を伝える
  4. 41本の木から頭と体の中心部を彫り出す、弘仁・貞観文化で主流となった技法は?
    衣のひだは翻波式で表された
  5. 5複数の木材を組み合わせて像を造る、定朝が完成させた技法は?
    平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像が代表
  6. 61124年に藤原清衡が建てた阿弥陀堂は?
    清衡・基衡・秀衡が葬られた
  7. 7東大寺の再建で、宋の様式を取り入れた大仏様を用いた僧は?
    東大寺南大門が大仏様の代表
  8. 81203年に運慶と快慶の合作で完成した、東大寺南大門の像は?
    慶派による写実的で力強い彫刻
  9. 9東求堂同仁斎を代表とする、床・違い棚・付書院を備えた住宅様式は?
    桃山時代に完成した
  10. 101467年に明へ渡り、帰国後に日本的な水墨画を完成させた画僧は?
    秋冬山水図・天橋立図が代表作
  11. 11唐獅子図屛風を描いた、信長・秀吉に仕えた狩野派の画家は?
    安土城・大坂城・聚楽第の障壁画を描いた
  12. 121765年、絵暦の交換会をきっかけに生まれた多色摺の浮世絵版画は?
    鈴木春信が中心となった
  13. 13フランスで学び、1896年に白馬会を結成した洋画家は?
    明るい外光派の画風を伝えた
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全13問おつかれさまでした×を付けた問題だけをもう一度解くと、記憶が定着しやすくなります。
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ほかの時代の用語も確かめたいときは、日本史一問一答で地域や時代を混ぜて解いてみてください。

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テーマ史の勉強の進め方

文化史は、通史では各時代の最後にまとめて学ぶことが多い分野です。通史をひととおり学んだあとに、建築・彫刻・絵画を1本の線でつなぎ直すと、「前の時代の様式をどう受け継ぎ、どこを変えたか」が見えるようになります。

段階やること目安
1通史の教科書や参考書で、各時代の文化史を一度学ぶ通史が一周したあと
2この記事の5つの段階と年表で、流れを自分の言葉で説明する1回15分ほど
3時代と分野の一覧表を隠して、作品名を書き出すまちがえた所に印をつける
4図説や資料集で作品の写真を見て、名前と姿を結びつける数日おいて繰り返す

寺院や仏像の背景にある信仰は、仏教・宗教史とあわせて読むと理解が深まります。

通史とテーマ史をどの順番で進めればいいか、独学で間に合うかの判定方法は、日本史は独学で間に合う?で詳しく解説しています。論述の添削を頼める家庭教師やオンライン塾の選び方もまとめています。

関連するテーマ史

建築や美術の様式は、信仰や外交、教育の変化と結びついています。あわせて読みたいテーマ史です。

テーマ史建築・美術史とのつながり
日本史のテーマ史:仏教・宗教史寺院・仏像・密教美術・浄土教美術・禅宗の背景にある信仰が分かる
日本史のテーマ史:中国との外交史遣唐使や鑑真、雪舟の入明など、大陸の様式が伝わった道筋が分かる
日本史のテーマ史:欧米との外交史お雇い外国人や欧化政策など、洋画・洋風建築の背景が分かる
日本史のテーマ史:教育史工部美術学校や東京美術学校など、近代の学校制度とのつながりが分かる
日本史のテーマ史:女性史平安時代の女性と物語文学、絵巻物の世界が分かる

ほかのテーマも、日本史のテーマ史の一覧でまとめて確認できます。

まとめ

日本の建築・美術は、大陸の文化を受け入れ、それを日本風に作りかえるという動きをくり返してきました。担い手も、豪族・国家から貴族、武士、町人へと広がり、近代には西洋の技法との向き合い方が大きな課題になりました。

段階中心となる様式・技法変化を生んだもの
飛鳥〜奈良金銅像、塑像・乾漆像、校倉造中国・朝鮮半島からの仏教美術、鎮護国家
平安一木造、寄木造、寝殿造、大和絵、絵巻物密教、浄土教と末法思想、貴族の好み
鎌倉〜室町大仏様・禅宗様、慶派の彫刻、書院造、水墨画東大寺の再建、宋と禅宗の影響、武家の好み
桃山〜江戸天守、障壁画、権現造・数寄屋造、琳派、浮世絵天下人と幕府の権威、町人の経済力
近代〜戦後日本画の革新、洋画、洋風建築、文化財保護欧化と伝統の見直し、法隆寺金堂の火災

まずは5つの段階と仏像の技法の移り変わりを覚え、次に各時代の代表作を建築・彫刻・絵画に分けて言えるようにしてください。

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