江戸時代中期(1709年〜1841年)の一問一答を96問、出やすさ順にまとめました。答えはタップすると開きます。○△×で自己採点でき、できなかった問題だけをもう一度解き直せます。
この時期の中心は三大改革です。なぜ何度も改革が必要だったのか。「米で年貢を取る仕組みが、貨幣経済に合わなくなった」という一点を押さえると、すべてつながります。

主な勉強場所はどこ?
三大改革と田沼の政治【4つの局面】
| 改革 | 年代 | 中心人物 | 方針 |
|---|---|---|---|
| 享保の改革 | 1716〜1745年 | 徳川吉宗 | 倹約と増税で財政を立て直す |
| 田沼の政治 | 1772〜1786年 | 田沼意次 | 商業を利用して収入を増やす |
| 寛政の改革 | 1787〜1793年 | 松平定信 | 倹約と統制で引き締める |
| 天保の改革 | 1841〜1843年 | 水野忠邦 | 倹約と統制。2年余りで失敗 |
江戸時代中期の一問一答【Sランク・32問】
- 18代将軍徳川吉宗が行った改革を何というか?三大改革の最初。比較的成功
- 2享保の改革で、大名に米を納めさせる代わりに参勤交代を緩めた制度は?
- 3吉宗が庶民の意見を聞くために設置したものは?
- 4目安箱の投書により設けられた医療施設は?
- 5吉宗が定めた、裁判の基準となる法典は?
- 6吉宗が奨励した、年貢を安定させるための土地開発は?
- 7年貢率を豊凶に関わらず一定にする方式を何というか?
- 8吉宗が緩和した、キリスト教に関係のない洋書の輸入制限は?
- 9田沼意次が行った、商人の力を利用する政策を何というか?
- 10田沼意次が公認し、営業税を取った商人の組合は?商業から利益を得る発想
- 11田沼意次が計画した、印旛沼・手賀沼の事業は?
- 121782年から続いた、東北を中心とする大飢饉は?
- 13天明の飢饉を悪化させた、1783年の噴火は?
- 14松平定信が行った改革を何というか?田沼政治を否定し、緊縮へ
- 15寛政の改革で、飢饉に備えて米を蓄えさせた政策は?
- 16江戸に流入した農民を村へ帰そうとした法令は?
- 17寛政の改革で、朱子学以外の講義を禁じた命令は?
- 18旗本・御家人の借金を帳消しにした法令は?
- 191833年から続いた大飢饉は?
- 201837年、大坂で幕府に反抗して挙兵した人物は?元役人の反乱が衝撃を与えた
- 21水野忠邦が行った改革を何というか?2年余りで失敗
- 22天保の改革で、物価を下げるために行われた政策は?かえって流通が混乱した
- 23江戸・大坂周辺を幕府の直轄地にしようとした法令は?
- 24天保の改革が2年余りで失敗した理由は?
- 2519世紀前半の、江戸中心の町人文化を何というか?元禄は上方、化政は江戸
- 26「東海道中膝栗毛」を著した人物は?
- 27「南総里見八犬伝」を著した人物は?
- 28「富嶽三十六景」を描いた浮世絵師は?
- 29「東海道五十三次」を描いた浮世絵師は?
- 30杉田玄白らが翻訳した解剖書は?蘭学発展の出発点
- 31日本全国を測量し、正確な地図を作った人物は?55歳から17年かけて測量
- 32「古事記伝」を著し、国学を大成した人物は?
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。

江戸時代中期の一問一答【Aランク・32問】
- 1享保の改革で、有能な人材を登用するために設けた制度は?
- 2吉宗が甘藷(サツマイモ)の栽培を命じた学者は?
- 3吉宗の時代、米価の調整に苦心したことから吉宗を何と呼ぶか?
- 4田沼意次が輸出を奨励した、海産物の加工品は?
- 5田沼意次が発行した、南鐐二朱銀の特徴は?
- 6田沼意次が蝦夷地の開発を検討した際、意見を出した人物は?
- 7田沼政治が批判された理由は?
- 8寛政の改革で、無宿人に職業を教えた施設は?
- 9寛政の改革で出版を統制され、処罰された作家は?
- 10寛政異学の禁で正学とされた学問は?
- 11江戸幕府の学問所として整備されたものは?
- 121792年、根室に来航したロシア使節は?
- 131804年、長崎に来航したロシア使節は?
- 141808年、長崎でイギリス船が起こした事件は?
- 151825年に出された、外国船を追い払う法令は?
- 161837年、アメリカ船を砲撃した事件は?
- 17モリソン号事件を批判して処罰された人物は?
- 181839年、蘭学者が弾圧された事件は?
- 191842年、異国船打払令を緩めた法令は?
- 20大塩平八郎の身分は?
- 21天保の改革で、江戸に出た農民を強制的に帰した法令は?
- 22天保の改革で禁止された、庶民の娯楽は?
- 23藩の財政を立て直すために行われた改革を何というか?
- 24専売制で財政を立て直した薩摩藩の中心人物は?
- 25越荷方を設けて成功した藩は?
- 26化政文化で、川柳や狂歌が流行した理由は?
- 27「解体新書」の翻訳に加わった、杉田玄白以外の人物は?
- 28蘭学の入門書「蘭学事始」を著したのは?
- 29長崎で鳴滝塾を開いたドイツ人医師は?
- 30緒方洪庵が大坂に開いた蘭学塾は?
- 31国学を大成する前に、万葉集を研究した人物は?
- 32尊王思想と結びつき、幕末に影響を与えた学問は?
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。
江戸時代中期の一問一答【Bランク・32問】
- 1享保の改革で、町火消を組織した町奉行は?
- 2上米の制で、大名は石高1万石につき何石を納めたか?
- 3定免法に対し、その年の収穫で年貢を決める方式は?
- 4吉宗が商品作物の栽培を奨励した目的は?
- 5田沼意次の役職は?
- 6田沼が長崎貿易で輸出を増やそうとした理由は?
- 7天明の飢饉で餓死者が多く出た地域は?
- 8天明の打ちこわしが起きた場所は?
- 9松平定信の出身藩は?
- 10囲米で、大名に石高1万石につき何石を蓄えさせたか?
- 11棄捐令で借金を帳消しにされた相手は?
- 12寛政の改革が短期間で終わった理由は?
- 13寛政の改革を風刺した狂歌の一節は?
- 141808年、樺太を探検した人物は?
- 15蝦夷地を探検し、地図を作った人物は?
- 161828年、国外持ち出し禁止の地図が発覚した事件は?
- 17大塩平八郎が信奉した学問は?
- 18大塩の乱が幕府に与えた衝撃は?
- 19水野忠邦が株仲間を解散した結果は?
- 20上知令が撤回された理由は?
- 21天保の改革の期間は?
- 22藩政改革に成功した藩が、幕末に果たした役割は?
- 23肥前藩が導入した、陶磁器の専売制で有名な焼き物は?
- 24化政文化の「化政」とは何の略か?
- 25滑稽本の代表作「浮世風呂」の作者は?
- 26読本の特徴は?
- 27浮世絵の多色刷り版画を何というか?
- 28錦絵を創始したとされる人物は?
- 29寺子屋で教えられた基本的な内容は?
- 30伊能忠敬の地図の正式名称は?
- 31平田篤胤が発展させた国学の一派は?
- 32本居宣長が説いた、日本古来の心のあり方は?
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。

三大改革の比較【この表だけで大半が解ける】

三大改革は内容が似ており、混同しやすいところです。誰が・何を・どうなったかを並べて覚えてください。
| 享保の改革 | 寛政の改革 | 天保の改革 | |
|---|---|---|---|
| 中心人物 | 徳川吉宗(将軍) | 松平定信(老中) | 水野忠邦(老中) |
| 年代 | 1716〜1745年 | 1787〜1793年 | 1841〜1843年 |
| 財政 | 上米の制・年貢増徴 | 囲米・棄捐令 | 上知令(失敗) |
| 農村 | 新田開発 | 旧里帰農令 | 人返しの法 |
| 学問・思想 | 漢訳洋書の輸入緩和 | 寛政異学の禁 | 蘭学者を弾圧 |
| 商業 | — | — | 株仲間の解散 |
| 結果 | 一定の成果 | 反発を招き短命 | 2年余りで失敗 |
3つとも「倹約」と「農村の立て直し」が柱です。違いは細部にあります。
江戸時代中期のポイント
なぜ何度も改革が必要だったのか

幕府の財政は米で年貢を取る仕組みでした。しかし社会は貨幣経済へ移っていきます。
| 起きたこと | 結果 |
|---|---|
| 新田開発で米の生産が増える | 米が余り、米価が下がる |
| 商品作物の栽培が広がる | 農民が貨幣を得るようになる |
| 商人が力を持つ | 富が武士から商人へ移る |
| 武士の収入は米のまま | 実質的な収入が減る |
米が増えるほど、米で収入を得る武士は貧しくなるという矛盾がありました。これが改革を繰り返した根本原因です。
享保の改革:比較的成功した改革
徳川吉宗は将軍自身が改革を主導しました。ここが他の2つと違います。
| 政策 | ねらい |
|---|---|
| 上米の制 | 大名から米を集め、財政を補う |
| 定免法 | 年貢を安定させる |
| 新田開発 | 耕地を増やして年貢を増やす |
| 足高の制 | 家柄によらず人材を登用する |
| 目安箱 | 庶民の意見を聞く |
| 公事方御定書 | 裁判の基準を定める |
足高の制と目安箱は、身分制の中では画期的な政策でした。大岡忠相の登用や小石川養生所の設置につながっています。
田沼の政治:発想が違った

田沼意次は、他の改革者とまったく逆の発想をとりました。
| 三大改革 | 田沼の政治 | |
|---|---|---|
| 重視 | 農業 | 商業 |
| 方針 | 倹約・統制 | 積極的な経済政策 |
| 財源 | 年貢 | 営業税・貿易 |
株仲間を公認して営業税を取り、俵物の輸出で金銀の流出を防ごうとしました。時代を先取りした政策と評価する見方もあります。
しかし賄賂が横行し、天明の飢饉も重なって失脚しました。
寛政の改革:厳しすぎた引き締め
松平定信は田沼政治を全面的に否定し、倹約と統制に戻します。
ただし取り締まりが厳しく、出版統制で山東京伝らが処罰され、庶民の不満が高まりました。
当時の狂歌が有名です。「白河の清きに魚もすみかねて もとの濁りの田沼恋しき」——清廉すぎて息苦しい、田沼の時代のほうがましだった、という意味です。
天保の改革:なぜ2年で終わったのか
水野忠邦の改革は、約2年半で失敗しました。理由は2つあります。
| 失敗の原因 | 内容 |
|---|---|
| 株仲間の解散 | 物価を下げるつもりが、流通が混乱した |
| 上知令 | 江戸・大坂周辺を直轄地にしようとし、大名・旗本が猛反発 |
上知令は領地を取り上げる政策です。当然、激しい抵抗を受けました。この撤回によって水野は失脚します。
外国船の接近:鎖国が揺らぐ
18世紀末から、外国船が日本に近づくようになります。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1792年 | ラクスマンが根室に来航(ロシア) |
| 1804年 | レザノフが長崎に来航(ロシア) |
| 1808年 | フェートン号事件(イギリス) |
| 1825年 | 異国船打払令 |
| 1837年 | モリソン号事件(アメリカ) |
| 1842年 | 薪水給与令(打払令の緩和) |
1842年に打払令を緩めたのは、アヘン戦争で清が敗れたことを知ったためです。強硬策では危険だと判断しました。
化政文化:江戸の庶民が主役

元禄文化との違いを押さえてください。
| 元禄文化 | 化政文化 | |
|---|---|---|
| 時期 | 17世紀末〜18世紀初め | 19世紀前半 |
| 中心 | 上方(京都・大坂) | 江戸 |
| 担い手 | 裕福な町人 | 庶民全般 |
| 特徴 | 華やか・活気がある | 皮肉・こっけい・風刺 |
川柳・狂歌が流行したのは、庶民が政治を批判する目を持ったからです。厳しい改革への不満が背景にあります。

間違えやすいところ
| まぎらわしい組み合わせ | 区別のしかた |
|---|---|
| 享保/寛政/天保 | 吉宗(将軍)/定信/忠邦 |
| 旧里帰農令/人返しの法 | 寛政(奨励)/天保(強制) |
| 上米の制/上知令 | 享保・米を納めさせる/天保・領地を取り上げる |
| 囲米/棄捐令 | 米を蓄える/借金を帳消し |
| 定免法/検見法 | 年貢を一定に/その年の収穫で決める |
| 異国船打払令/薪水給与令 | 1825年・追い払う/1842年・水と食料を与える |
| 元禄文化/化政文化 | 上方/江戸 |
| 葛飾北斎/歌川広重 | 富嶽三十六景/東海道五十三次 |
| 十返舎一九/滝沢馬琴 | 膝栗毛(滑稽本)/八犬伝(読本) |
「上米の制」と「上知令」は特に混同されます。米を納めさせるのが上米、領地を取り上げるのが上知です。
覚え方のコツ
改革は「誰が」で区別する
| 改革 | 中心人物 | 立場 |
|---|---|---|
| 享保 | 徳川吉宗 | 将軍 |
| 寛政 | 松平定信 | 老中 |
| 天保 | 水野忠邦 | 老中 |
吉宗だけが将軍です。だからこそ思い切った改革ができ、比較的成功しました。
年号は6つだけ覚える
| 年 | できごと | 語呂 |
|---|---|---|
| 1716年 | 享保の改革 | 非難いろ(1716)いろ享保の改革 |
| 1787年 | 寛政の改革 | いなはな(1787)し寛政の改革 |
| 1825年 | 異国船打払令 | いやにご(1825)う慢打払令 |
| 1837年 | 大塩の乱 | いやみな(1837)大塩の乱 |
| 1841年 | 天保の改革 | いやよい(1841)天保の改革 |
| 1842年 | 薪水給与令 | いやしに(1842)水をやる |
文化は「上方か江戸か」で分ける
| 文化 | 中心 | 代表 |
|---|---|---|
| 元禄文化 | 上方 | 井原西鶴・近松門左衛門・松尾芭蕉 |
| 化政文化 | 江戸 | 十返舎一九・滝沢馬琴・葛飾北斎 |
腕試し:ランダム10問
ここまでの内容が身についたか確認してください。順番をシャッフルし、1問ずつ表示します。スワイプでも進められます。
- 1モリソン号事件を批判して処罰された人物は?
- 2天保の改革で、物価を下げるために行われた政策は?
- 3寛政の改革で、飢饉に備えて米を蓄えさせた政策は?
- 4田沼意次が計画した、印旛沼・手賀沼の事業は?
- 5化政文化で、川柳や狂歌が流行した理由は?
- 6「解体新書」の翻訳に加わった、杉田玄白以外の人物は?
- 719世紀前半の、江戸中心の町人文化を何というか?
- 8田沼意次が発行した、南鐐二朱銀の特徴は?
- 91804年、長崎に来航したロシア使節は?
- 101833年から続いた大飢饉は?
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。
×が3問以上あった場合は、Sランクに戻ってもう一度確認してください。間違えた問題を放置しないことが、日本史でいちばん効きます。
よくある質問
なぜ改革が3回も必要だったのですか
年貢を米で取る仕組みが、貨幣経済に合わなくなったからです。
新田開発で米が増えると、米価が下がります。武士の収入は米なので、米価が下がると実質的に貧しくなります。一方、商人は貨幣で儲けて豊かになりました。
三大改革はいずれも倹約と農村の立て直しで対応しようとしましたが、根本の仕組みは変えていません。だから何度も繰り返すことになりました。
享保の改革はなぜ成功したのですか
吉宗が将軍本人だったことが大きい要因です。
寛政・天保の改革は老中が主導したため、大名や旗本の反対で行き詰まりました。吉宗は将軍の権威で押し切れたのです。
また足高の制で有能な人材を登用し、目安箱で庶民の声を聞くなど、柔軟さもありました。
田沼意次は悪い政治家だったのですか
近年は再評価されています。
商業を利用して財政を立て直そうとした発想は、時代を先取りしていました。株仲間の公認、俵物の輸出、蝦夷地の開発計画など、意欲的な政策を打ち出しています。
ただし賄賂が横行したのは事実で、天明の飢饉も重なって批判を集めました。「悪政」と単純に評価するのは適切でないとされています。
大塩平八郎の乱はなぜ衝撃的だったのですか
元役人が幕府に反乱を起こしたからです。
大塩は大坂町奉行所の与力を務めた人物で、体制の側にいました。その人物が飢饉に苦しむ民衆を見かねて挙兵したことは、幕府の権威を大きく傷つけました。
乱自体は1日で鎮圧されましたが、各地で同様の動きが起こります。
天保の改革はなぜ2年で終わったのですか
上知令に対する反発が決定的でした。
江戸・大坂周辺を幕府の直轄地にするという内容で、そこに領地を持つ大名や旗本は土地を取り上げられることになります。当然、激しく抵抗しました。
また株仲間の解散も、物価を下げるどころか流通を混乱させ、失敗に終わっています。
どこまで覚えればいいですか
| 目標 | 必要な範囲 |
|---|---|
| 共通テスト | Sランク32問 |
| 私大・国公立二次 | S+Aランク64問 |
| 難関大 | 全96問 |
三大改革の比較表は必ず覚えてください。ここだけで多くの問題が解けます。
次はどの時代を勉強すべきですか
次は江戸時代後期(幕末)です。ペリー来航から明治維新までを扱います。
この記事で見た外国船の接近が、いよいよ開国につながります。また藩政改革に成功した薩摩・長州が、倒幕の中心となる流れも押さえてください。



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