平安時代後期(1068年〜1185年)の一問一答を84問、出やすさ順にまとめました。答えはタップすると開きます。○△×で自己採点でき、できなかった問題だけをもう一度解き直せます。
この時代は、貴族の政治が終わり、武士が政権を握るまでの120年です。「なぜ武士が力を持ったのか」を追うと、複雑な争乱も筋が通ります。

主な勉強場所はどこ?
平安時代後期の流れ【3つの局面】

| 局面 | 年代 | 権力者 | おもな出来事 |
|---|---|---|---|
| ①院政の開始 | 1068〜1156年 | 後三条天皇・白河上皇 | 荘園整理/院政の開始/僧兵の強訴 |
| ②武士の登場 | 1156〜1167年 | 後白河天皇・平清盛 | 保元の乱/平治の乱 |
| ③平氏政権と滅亡 | 1167〜1185年 | 平清盛 → 源頼朝 | 日宋貿易/治承・寿永の乱/壇ノ浦 |
転機は保元の乱(1156年)です。貴族どうしの争いを武士の力で決着させたことで、武士なしには政治が動かないことが明らかになりました。
平安時代後期の一問一答【Sランク・28問】
- 11068年に即位し、藤原氏を外戚としない天皇は?約170年ぶりの非摂関家出身
- 2後三条天皇が荘園を整理するために設けた役所は?
- 31086年、白河天皇が上皇となって始めた政治は?摂関家に縛られず政治を行うため
- 4院政を最初に行った上皇は?
- 5上皇の住まいや、その政庁を何というか?
- 6院庁から出された命令書を何というか?
- 7上皇に仕え、院政を支えた武士や下級貴族を何というか?
- 8寺院が武装させた僧兵が、要求を通すために行ったことは?白河上皇も止められなかった
- 9延暦寺の僧兵が担いで京へ押し寄せたものは?
- 101156年、崇徳上皇と後白河天皇が争った戦いは?武士の力が政治を決めた最初の例
- 111159年、源義朝と平清盛が争った戦いは?勝った清盛が政権を握る
- 12平治の乱に勝利し、政権を握った人物は?
- 131167年、平清盛が武士として初めて就いた官職は?武士が貴族の頂点に立った
- 14平清盛が娘の徳子を嫁がせた天皇は?
- 15徳子が産み、平氏の権力の源となった天皇は?
- 16平清盛が日宋貿易のために整備した港は?
- 17平氏が経済的基盤とした、中国との貿易は?宋銭が大量に流入した
- 181180年、以仁王とともに挙兵を呼びかけた人物は?
- 191180年に伊豆で挙兵した源氏の武将は?
- 201185年、平氏が滅亡した戦いは?関門海峡での最終決戦
- 21源義経が平氏を破った、1184年の戦いは?
- 22源頼朝が1185年に設置を認められた、地方の役職2つは?鎌倉幕府の基礎となる
- 23奥州藤原氏が本拠とした場所は?
- 24奥州藤原氏が建てた、金色に輝く堂は?
- 25院政期に流行した、庶民の間で歌われた歌謡は?
- 26後白河上皇が今様を集めて編んだ書は?
- 27武士の活躍を描いた、院政期の物語の総称は?
- 28平将門の乱を描いた軍記物語は?
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。

平安時代後期の一問一答【Aランク・28問】
- 1後三条天皇が定めた、枡の基準を何というか?
- 2白河上皇が思い通りにならないと嘆いた三つのものは?
- 3白河・鳥羽・後白河と続いた院政は何年間続いたか?
- 4院政期に上皇が出家した後の呼び名は?
- 5上皇の警護のために置かれた武士を何というか?
- 6興福寺の僧兵が強訴の際に担いだものは?
- 7保元の乱で崇徳上皇側についた武将は?
- 8保元の乱で後白河天皇側についた武将は?
- 9保元の乱の後、実権を握った人物は?
- 10平治の乱で敗れ、殺された人物は?
- 11平氏政権が「平氏にあらずんば人にあらず」と言われた背景は?
- 12平清盛が一時的に都を移した場所は?
- 131180年から1185年までの内乱を何というか?
- 14源義仲が挙兵した場所は?
- 15源義経が源頼朝と対立し、最後に頼った人物は?
- 161189年、源頼朝が滅ぼした一族は?
- 17源頼朝が鎌倉に置いた、御家人を統率する機関は?
- 18守護の主な職務を何というか?
- 19地頭が任命され、荘園や公領で行った職務は?
- 201185年、頼朝が守護・地頭の設置を認めさせた相手は?
- 21院政期に描かれた、動物を擬人化した絵巻は?
- 22応天門の変を題材にした絵巻は?
- 23平安後期に地方へ広まった、阿弥陀堂建築の例は?
- 24奥州藤原氏の初代は?
- 25平氏が厳島神社に納めた経典は?
- 26院政期に成立した、インド・中国・日本の説話集は?
- 27源氏の東国支配のきっかけとなった、後三年合戦後の恩賞は?
- 28白河上皇が建てた、六勝寺の一つは?
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。
平安時代後期の一問一答【Bランク・28問】
- 1後三条天皇の荘園整理令が効果を上げた理由は?
- 2院政期、上皇に土地が集まった仕組みを何というか?
- 3上皇や貴族が国司の任命権をもち、収入を得た国を何というか?
- 4院政の経済基盤となった、上皇に寄進された荘園群は?
- 5寺院が所有した荘園を守るために組織した武力は?
- 6延暦寺の僧兵を何と呼んだか?
- 7興福寺の僧兵を何と呼んだか?
- 8保元の乱の背景にある、皇位継承をめぐる対立の当事者は?
- 9平治の乱の背景にある、院近臣どうしの対立の当事者は?
- 10平清盛の父で、日宋貿易の基礎を築いた人物は?
- 11平氏が知行国を多く支配したことを示す言葉は?
- 12平氏打倒を計画し、失敗した1177年の事件は?
- 13以仁王が平氏打倒を呼びかけた文書は?
- 141181年、源平の争乱中に起きた自然災害は?
- 15源義経が壇ノ浦の前に平氏を破った、讃岐での戦いは?
- 16壇ノ浦の戦いで、安徳天皇とともに入水した人物は?
- 17源頼朝が対立する弟を追討するため求めたものは?
- 18守護が一国に一人ずつ置かれたのに対し、地頭は?
- 19奥州藤原氏三代とは、清衡・基衡と誰か?
- 20中尊寺金色堂に納められているものは?
- 21院政期の文化で、貴族と庶民の文化が交流した例は?
- 22平氏一門の栄華と滅亡を描いた軍記物語は?
- 23源氏と平氏の争いを題材にした、鎌倉期成立の軍記物語は?
- 24扇面古写経に描かれた、当時の様子は?
- 25院政期に発達した、地方豪族が築いた阿弥陀堂の例は?
- 26平安後期に成立した、歴史を物語風に記した書の総称は?
- 27藤原道長の時代を批判的に描いた歴史物語は?
- 281185年以降、頼朝が実質的な支配を固めた地域は?
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。
平安時代後期のポイント
後三条天皇:170年ぶりの転換
後三条天皇は、藤原氏を外祖父にもたない約170年ぶりの天皇でした。藤原氏に遠慮する必要がないため、思い切った改革ができました。
最大の政策が荘園整理令です。記録荘園券契所を設け、書類の不備な荘園を没収しました。
これまでの荘園整理令と違って効果があったのは、摂関家の荘園も対象にしたからです。ここは記述で問われます。
院政:なぜ上皇が政治を行うのか

1086年、白河天皇は幼い堀河天皇に位を譲り、上皇として政治を続けました。これが院政の始まりです。
天皇の位を退くことに、次の利点がありました。
| 天皇のとき | 上皇のとき |
|---|---|
| 摂政・関白の補佐を受ける | 摂関家に縛られない |
| 朝廷の手続きに従う | 院庁から直接命令を出せる |
| 儀式や制約が多い | 自由に人材を登用できる |
院政を支えたもの
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 院庁下文 | 院庁から出す命令書。朝廷を通さない |
| 院近臣 | 上皇に仕える下級貴族や武士 |
| 北面の武士 | 上皇を警護する武士 |
| 知行国制 | 上皇や貴族が国司の任命権をもち、収入を得る |
| 荘園の寄進 | 八条院領・長講堂領など |
北面の武士を置いたことが、武士の地位向上につながります。平氏もここから台頭しました。
僧兵の強訴:上皇でも止められない
大寺院は荘園を守るため、僧兵を組織しました。要求を通すため、神輿や神木を担いで京へ押し寄せます。これを強訴といいます。
神仏を恐れる当時の人々は、これを実力で排除できませんでした。白河上皇は、思い通りにならないものとして「賀茂川の水・双六の賽・山法師」を挙げたと伝えられます。
結果として、朝廷は武士に頼って寺院を抑えることになり、武士の地位がさらに上がりました。
保元の乱:武士が政治を決めた

1156年、皇位継承をめぐって崇徳上皇と後白河天皇が対立します。両者はそれぞれ武士を味方につけました。
| 崇徳上皇側 | 後白河天皇側 | |
|---|---|---|
| 武士 | 源為義・平忠正 | 源義朝・平清盛 |
| 結果 | 敗北 | 勝利 |
この戦いは、源氏も平氏も親子・兄弟で敵味方に分かれました。血縁より主君との関係が優先されたことを示します。
そして何より重要なのは、貴族どうしの争いが武士の力で決着したことです。以後、武士なしに政治は動かなくなります。
平治の乱:清盛が頂点へ
1159年、保元の乱の勝者どうしが争います。平清盛が源義朝を破り、武士のなかで最高の地位を得ました。
1167年には太政大臣となります。武士として初めて、貴族の最高位に就いたことになります。
平氏政権:なぜ短命だったのか
平清盛は、藤原氏と同じ方法で権力を握りました。娘の徳子を天皇の后とし、生まれた安徳天皇の外祖父になるやり方です。
しかしこれは、貴族と同じ仕組みに乗っただけでした。武士の期待に応えるものではありません。
| 不満をもった層 | 理由 |
|---|---|
| 貴族 | 平氏が高位高官を独占した |
| 寺社 | 平氏と対立し、焼き討ちを受けた |
| 地方の武士 | 恩賞や地位が与えられなかった |
1180年、以仁王の令旨をきっかけに各地で挙兵が起こり、治承・寿永の乱が始まります。平氏は1185年の壇ノ浦で滅びました。
源頼朝:東国に新しい政権を
源頼朝は京へ上らず、鎌倉を拠点としました。京の貴族社会に取り込まれることを避けたためです。
1185年、後白河法皇に守護・地頭の設置を認めさせます。これが全国支配の基礎となりました。
| 守護 | 地頭 | |
|---|---|---|
| 置かれる場所 | 一国に一人 | 荘園・公領ごと |
| 職務 | 大犯三カ条(軍事・警察) | 年貢の徴収・土地の管理 |

間違えやすいところ
| まぎらわしい組み合わせ | 区別のしかた |
|---|---|
| 保元の乱/平治の乱 | 1156年・上皇と天皇/1159年・武士どうし |
| 後三条天皇/後白河天皇 | 後三条は荘園整理、後白河は保元・平治の乱 |
| 上皇/法皇 | 出家すると法皇 |
| 守護/地頭 | 守護は一国に一人、地頭は荘園ごと |
| 源義朝/源義仲/源義経 | 義朝は頼朝の父、義仲は木曽、義経は弟 |
| 一の谷/屋島/壇ノ浦 | この順に平氏を追い詰めた |
| 中尊寺金色堂/平等院鳳凰堂 | 金色堂は平泉、鳳凰堂は宇治 |
| 今昔物語集/今様 | 説話集/歌謡 |
保元と平治は特に混同されます。「保元は上皇と天皇の争い、平治は武士どうしの争い」と覚えてください。
覚え方のコツ
「なぜ武士が力を持ったか」で追う

この時代の出来事は、すべて武士の地位向上につながっています。
| できごと | 武士への影響 |
|---|---|
| 北面の武士の設置 | 上皇に近侍し、地位が上がる |
| 僧兵の強訴 | 朝廷が武士に頼るようになる |
| 保元の乱 | 武士の力で政治が決まると示す |
| 平治の乱 | 清盛が武士の頂点に立つ |
| 治承・寿永の乱 | 武士が全国規模で動く |
| 守護・地頭の設置 | 武士が全国を支配する仕組みができる |
年号は6つだけ覚える
| 年 | できごと | 語呂 |
|---|---|---|
| 1086年 | 院政の開始 | 入れ晴む(1086)院政 |
| 1156年 | 保元の乱 | いいころ(1156)保元 |
| 1159年 | 平治の乱 | いいごく(1159)平治 |
| 1167年 | 清盛が太政大臣 | いいむな(1167)清盛 |
| 1180年 | 治承・寿永の乱 | いいやれ(1180)挙兵 |
| 1185年 | 平氏滅亡・守護地頭 | いいはこ(1185)作ろう |
源氏の3人を区別する
| 人物 | 関係 | したこと |
|---|---|---|
| 源義朝 | 頼朝の父 | 平治の乱で敗死 |
| 源頼朝 | — | 伊豆で挙兵、鎌倉に政権を築く |
| 源義仲 | 頼朝のいとこ | 木曽で挙兵、京へ入るが敗死 |
| 源義経 | 頼朝の弟 | 平氏を滅ぼすが、頼朝と対立 |
腕試し:ランダム10問
ここまでの内容が身についたか確認してください。順番をシャッフルし、1問ずつ表示します。スワイプでも進められます。
- 1興福寺の僧兵が強訴の際に担いだものは?
- 2武士の活躍を描いた、院政期の物語の総称は?
- 3奥州藤原氏の初代は?
- 41185年、平氏が滅亡した戦いは?
- 5奥州藤原氏が建てた、金色に輝く堂は?
- 61180年に伊豆で挙兵した源氏の武将は?
- 7平治の乱に勝利し、政権を握った人物は?
- 8守護の主な職務を何というか?
- 9院政期に描かれた、動物を擬人化した絵巻は?
- 10保元の乱で崇徳上皇側についた武将は?
数日あけてから、もう一度この一覧に戻ってきてください。
×が3問以上あった場合は、Sランクに戻ってもう一度確認してください。間違えた問題を放置しないことが、日本史でいちばん効きます。
よくある質問
院政と摂関政治の違いは何ですか
| 摂関政治 | 院政 | |
|---|---|---|
| 権力者 | 藤原氏(外祖父) | 上皇(父・祖父) |
| 力の源 | 天皇の母方の親族 | 天皇の直系の尊属 |
| 命令 | 朝廷の手続きを通す | 院庁下文で直接出す |
どちらも「天皇の親族が権力を握る」点は同じです。違いは母方か父方かにあります。
なぜ保元の乱が重要なのですか
貴族どうしの争いが、武士の力で決着したからです。
それまで武士は貴族に仕える存在でしたが、この戦いで「武士なしには政治が動かない」ことが明らかになりました。武士の時代の出発点とされます。
平氏はなぜ短期間で滅んだのですか
清盛が貴族と同じやり方で権力を握ったためです。
娘を天皇の后にして外祖父になるという方法は、藤原氏と変わりません。地方の武士が求めた土地や地位は与えられず、支持を失いました。
源頼朝が御家人に土地を保障する仕組みを作ったのと対照的です。この違いが両者の明暗を分けました。
源頼朝はなぜ鎌倉を選んだのですか
京へ上ると貴族社会に取り込まれると考えたためです。平氏がそうなって失敗したのを見ていました。
鎌倉は三方を山、一方を海に囲まれた守りやすい地形で、源氏ゆかりの土地でもありました。
鎌倉幕府の成立は何年ですか
いくつかの説があります。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1180年 | 侍所の設置 |
| 1185年 | 守護・地頭の設置 |
| 1192年 | 頼朝が征夷大将軍に |
現在の教科書では1185年を採る場合が多くなっています。実質的な支配権を得た年だからです。
どこまで覚えればいいですか
| 目標 | 必要な範囲 |
|---|---|
| 共通テスト | Sランク28問 |
| 私大・国公立二次 | S+Aランク56問 |
| 難関大 | 全84問 |
次はどの時代を勉強すべきですか
次は鎌倉時代です。守護・地頭の設置から、御家人制度がどう整えられるかを見ていきます。
この記事で見た「なぜ平氏は滅び、源氏は続いたのか」という視点を持って読むと、鎌倉幕府の仕組みが理解しやすくなります。



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